2015年 11月 07日
天上の酒 |
山形「影法師」という農民バンドが来るというので、これを迎えるため「美林」を買いに行ってきた。棚田百選に取り上げられた山田で作られた米で酒を醸すというものだ。
秋の田の 仮庵の庵の 苫をあらみ
しかし聞いてみると、もう酒米作りは止めてしまったのだそうだ。棚田百選に取り上げられたことで、ファンが増え、産直をやったほうがいいらしい。18,000円/60kgだそうだ。天上の米で酒を作るのは値段が難しいのかもしれない。
街道まで降りたところに六所神社がある。なかなか気合の入った撰文だ。応仁の乱を避けてこの地に逃れた熱田神宮の氏子が祀った、ということだろう。本殿左側には不思議なものが祀られている。諏訪大社の御柱のような大きなものではないが「山と木」が御神体みたいなもの、ということだろうか。
山林経営は100年単位なのだが、この頃の「政治家」と称する人々は「国家百年の計」はおろか、「国家十年の計」もなく、2年先の選挙で、どうやって票を取るかしか、頭にないらしく、国は傾いてゆく。
豊年満作 天下泰平
という日本古来の食料安保など、百姓から票を搾り取ったら弊衣のごとく捨てられてしまう。豊年満作というのは断じて食料生産だけを言っているのではない。地域の環境が健康を保っていれば、ゴホウビとして食料が手に入るということだ。
1602年に出羽国に封ぜられた佐竹義宣は 「国の宝は山であり、山の衰えは国衰である」として山林保護に力を入れ、現在見るような秋田杉の基礎を築いたそうだ。
現在の山林は戦後の住宅難を輸入材で凌いだ頃からおかしくなり、このままでは国中が竹やぶになってしまう。山林経営は100年単位なので、今の政治家の票のためには役に立たない。
アベクン言うところの食料安保は、米国の植民地化を深めれば、食べ物なぞ買ってくれば良いではないか、というものだろうが、もともと奴隷制を前提としていたプランテーション式農業は「自然を奪う農業」であり、「自然を育てる農業」であるところの、古来から伝えられた
豊年満作 天下泰平
という食料安保の思想とは相容れないものだ。
宮口へ降りてUさんの顔を見て帰る。宮口街道は上島で二俣街道と交差し、中通りを経て田町交差点に至る。まだ馬込川が天竜川だった時代の川沿いの道だろう。この流れが文明開化の頃、繊維産業など遠州の産業近代化を育んだのだ。
by dehoudai
| 2015-11-07 17:48
| まちづくり
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