2015年 11月 01日
脇往還 |
姫街道というか、R362を走ってきた。
江戸時代というのは「レジャー」というのが許されなかった時代なので、それに代えて人々は「参詣」というものを盛んに行った。脇往還の神社仏閣には、今でいうテーマパークみたいな趣がある。庚申寺というのも、江戸時代に大変賑ったようだ。
庚申寺
特定の神仏に析るものではなく、「庚申待」といって庚申の夜、体内の三尸の虫が悪業を天帝に告げ口しないよう、ただ寝ないで過ごすという特異な宗教行為だそうな。
東海道五十三次は参覲交代のように、外様大名をシェイクダウンするところなので、手形を持たない町人が迷い込んだら、丸裸にされてしまう。手形を持たない者が東西へ行き来するためには、「参詣」と称して「脇往還」を通った。R362もそうした脇往還の一つだ。
須部家長屋門
江戸時代のエリートには長屋門が許されていた。ところが「この辺りの環境には私が責任を持っています。」と頑張っていた庄屋さんたちはいつの間にか「そういうことは行政がやります。」ということになって、またいつの間にか「そのものは今年から配属が変わりました。」となって、地域の環境に責任を持つ者は誰もいなくなってしまった。亡国の第一歩だ。
初山法林寺
by dehoudai
| 2015-11-01 14:27
| まちづくり
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