2015年 10月 20日
プルーイット・アイゴー |
三井不動産レジデンシャルなるものが販売したマンションが、傾いたとして騒ぎになっている。図はセントルイスに建設されたプルーイット・アイゴー。
三井レジデンスの論調は技術的な解説と「提出された書類に不備がなければ、受け取るしかない。」つまり現在の確認制度には有効性がない、という話に終始している。肝心な「なぜ超高層アパートに住まなければならないか?」という、日本の都市を覆う肝心なところには、みなさん思い至らないようだ。立体長屋をマンションと称するのも奇天烈だ。
実はこの国には「都市計画が無い。」というのが事件の底流ではないだろうか。もともと東京は都として計画されたものではない。征夷大将軍の幕府、つまり東北原住民掃討作戦最高司令部所在地であるに過ぎない。今で言えば米軍基地のゲート前のようなものだ。都として計画されたわけではなく、参覲交代つまり各藩が東北原住民掃討作戦最高司令部へ交代で勤務するために、砦の周辺に作った寝小屋が肥大化したものだ。
東京遷都に際し、これを都に改造する都市計画事業は財源難で頓挫、絶好のチャンスだった関東大震災でも、後藤新平が腕まくりで都市計画事業を定める前に、被災者が自力再建でバラックを並べてしまったのは、十年に一度、という火事に馴れていた江戸っ子のせいだ。
戦災復興都市計画の最終目標であった人口300万人は、復員兵の軍靴で3年を出ずして踏みにじられてしまい、1990年川上秀光先生が退官される頃には、
既に核分裂の段階を過ぎ、核融合の段階に入っているので、燃料を供給すれば限りなく肥大するが、燃料を遮断すれは制御不能となって炉心溶融を引き起こす。
という状態だった。
というわけで昭和31年の全国総合開発計画以来、新全総、三全総、四全総、五全総と、技術陣が声を揃えて、産業の地方分散を唱え続けてきたにもかかわらず、大蔵省方面には東京への一極集中に対する歯止めがなかった。その結果現在でも東京は先進国の都市とはほど遠い、アジアの都市だ。
アジアの都市にはそれなりの楽しさがあるが、東京に限って言えば、一生働いて「30年で粗大ごみ」という住宅一軒立ててオシマイ。アパートに限って言えば、1950年代の米国セントルイスで、手に職のない復員兵を収容するために建設されたプルーイット・アイゴーが先例となりそうだ。1972年に破却されている。
こちら「つくばみらい市」と言われると、ブラックユーモアとしか思えない。 瘴癘の地
by dehoudai
| 2015-10-20 21:03
| まちづくり
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