2015年 09月 22日
本日の舞阪港 |
おい、浜名湖へハゼ釣りに行こう。
というので、出かけることにした。
船頭に船を仕立ててもらって、ハゼが掛ったら上げる、というだけなら素人でもできる、という計画だったのだが、これはハズレ。そんなことに興味を持つ奴は、皆自分で免許を取って船を買っちまうので、ホテルがやっているような「船頭釣」は一週間前に予約しないと無い、ということであった。
しからば上州屋で安い道具を買って「陸釣」はどうだろうと、雄踏中学の裏へ行って、太公望氏から話を聞く。
船は面倒なので繋ぎっぱなし、釣果は問わ無い、半日潮風にあたっていると気持ちが良い。
そこで舞阪港を覗いてみよう、ということに。
宿場町の建物がどんな矩計なのか、数日来気になっていたところを観察する。
漁港入口には「市場関係者以外進入禁止」と大書してあるので、
市場へ魚を買いに来たのだから、関係者だ。
という感じだ。 シラスのカゴはひとつ35kg位入るそうで、おっかちゃ連の体は腰のあたりが入念に鍛え上げられている。 突堤で潮風に吹かれながらしばし「目釣」。ウキ先を見ているとちょっと自分で釣っている気分なのだが、黒鯛のウキは素人が見ていても難しそうだ。先ずウキを立てるのが大変、ちょんちょんと来てからぐーっと行く0.1秒前に竿をぐいっと立てるのだが、ちょんちょんからぐーっ、の間合いを覚えるのに、何年か掛かるのだろう。 それ以前に仕掛けを作らなければならない。ウキのあと先の糸の勾配が、潮に応じて上手く出来ていないと、難しいのではなかろうか。探せば幸田露伴先生がどこかで指南しているかもしれない。家尊が晩年やっていたのは、このウキの自作であった。
幸田露伴先生によれば、
江戸っ子はタイと言えばケイズのこと。
とおっしゃるが、東照神君が鯉に代えて、初めて黒鯛をお召しになり「こっちの方が美味い。」と仰せられたのは、豪雨で入出湊の御用網が流された折のことだから、江州佃村の漁師が海軍特殊部隊に徴用され、御菜八ヶ浦が年貢に代えて、御菜献上を命ぜられるよりも前のことだから、世界の魚食文化の頂点に立つ日本料理も、ここの突堤と無関係ではない。
それ以前には御幼少の砌、興津清見寺でこっそりお召しになったアマダイは、遠州灘でも獲れる。興津鯛を活きたまま江戸城へ献上するためには、伊豆水軍を総動員して、湊々に生簀を囲う必要があった。
さて
以下「金釣」に移る、
by dehoudai
| 2015-09-22 23:45
| まちづくり
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