2015年 08月 31日
子爵夫人鳥尾鶴代 |
街路樹が倒れたそうで、根が腐っていたそうだ。今日の日本国の如し。
憲法9条の原案を作成した担当者はニューヨークの弁護士、GHQ民政局次長のチャールズ・ルイス・ケーディス大佐だそうだが、鶴代さんは良き協力者だった。
子爵夫人鳥尾鶴代
木村勝美
立風書房 1992年
は終戦の日から昭和35年あたりまでの国家中枢を、子爵夫人鳥尾鶴代というひとりの女を通して描き出している。松本清張がリアルタイムで探りだしていた頃だが、本書は「今だから話せる」という距離をとって本人・周辺に取材しているのだろう。亡くなった翌年の出版だ。
一言で言うと爽快な人だ。
特権階級に有り勝ちな夫に嫁ぐが、自分のことは自分で決める、という人生を送っている。自主独立というのが戦後の風だろう。
背景に吉田・安倍・河野・鳩山・岸といった権力中枢の登場人物がうごめいている。男たちは世間の波に浮沈するが、鶴代さんはそんなことにはお構いなく、自分の気持ちに偽りなく従ってゆく。
ケーディス大佐は理想主義者として描かれている。彼は憲法9条も日本国民のためのものとしてでなく、人類の未来のために考えていたのだろう。
憲法9条はGHQに押し付けられたものだから、自主憲法を制定したい。
という向きもあるが「軍隊を持つのが普通の国だ。」というのは日本人の受け入れがたいところだろう。第二次世界大戦で軍隊は国を守るものであっても、国民を守るものではなかった、というのが日本人の体験だった。
戦争にうんざりというのが昭和20年代前半の時代の風だろう。ところがこれに朝鮮戦争特需が馬乗りして戦後復興となる。他国の戦争ほどうまいものはない。
今上天皇に、女子学習院の校舎に向かって立小便をしろ、とけしかけたのは鶴代さんのご子息だそうな。
現今の政治家の御世継ぎ連を見ても、声の大きなくるくるぱーが国を誤らせる時代になりつつあり、自主独立、という戦後の風がだいふ弱くなってきた。
昭和20年代には笑顔も自分のものだったが、テレビを見ていると、今では笑顔も阿諛追従の笑顔しかない。
by dehoudai
| 2015-08-31 13:04
| ほん
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