2015年 08月 15日
Infanta Case |
ストリートダンスと村対抗料理コンテストというのが、フィリピン共和国ケソン州インファンタの祭りの主なプログラムであるらしい。 唐揚げであるね。 トマトーチリのディップというのはありそうだな。 おっとヴィジュアル系である。観光開発をやって所得向上、という試みもされているのだろう。fbもやっているぞ。 インファンタというのはマニラから脊梁山脈を越えて、 太平洋に面した、アゴス河口の街だそうな。市役所HPによれば人口65,000人。 水田地帯で漁業もある。 米の飯と魚の塩蔵発酵品があるので、食うには困らないところだろう。水田地帯ということで、IRRIが学生を連れてくることもあるようだ。
1521年にマゼランがセブで殺されてから程なく、ここにもスペインの宣教師がやってきたそうだ。 その後も台風・洪水だけでなく、イスラム系の海賊に荒らされることもあったそうだ。まあスペインの宣教師というのも、お宗旨が違うだけで海賊みたいなものだ。
なぜルソン島東海岸の小さな町に興味を持ったかというと、図書館の棚から
河村悦郎
徳間書店 1991
という本がオイデオイデをしていたのだ。1945年大日本帝国海軍部隊が、この町で1,000人に上る一般市民を虐殺しているというのだ。
市役所HPによればその後米比軍によるインファンタ解放が1945年5月25日、ゲリラ部隊と協力して終戦まで日本軍と戦ったとある。
著者はふとしたきっかけでこの事件を知り、戦争裁判の予備審問調書を調べ、生存者に話を聞く。裁判記録によると犠牲者は865名で、そのうち379名が女性、15歳未満の子供が401名、60歳以上の老人が66名だそうだ。
1941年12月日本軍が上陸、1944年末に至り、すでにレイテ島では日本軍の組織的抵抗は終わっていた。1945年1月帝国陸海軍は山下奉文将軍はバギオに移って持久戦の構えに入りる。1月末海軍部隊はマニラを捨て、インファンタが最終的な撤退場所とされた。インファンタへ組織的に撤収できた3,000人の古瀬部隊の上に壊走状態の日本兵が覆いかぶさる。
日本軍の壊走状態は、経験者である大岡昇平が「レイテ戦記」として纏めているが、彼はそこで「遊兵」という言葉を使っている。
4月17日には敵と通じているとみなされた海岸の村で175名、5月21日には発せられた「住民処分命令」によって112名が「掃討」されている。
敗戦後、フィリピン側は直ちに宣誓証言を集め、後の裁判では184名の殺害に対し、15名が死刑宣告を受けている。ところが筆者によれば15名のうち15名が起訴事実について言えば無実だそうだ。
目の前で13歳の娘を斬首された母親の証言は事実であっても、下手人として写真の中から選び出されたものは、その時その場にいなかった、ただ住民との接触があり、顔を覚えられていただけだったという類のもの。
しかし独立直後のフィリピンの軍事法廷では、どうしても合法的に死刑にする人間を必要としていたことも事実だ。
筆者はさらに日本軍における匿名性を挙げている。参謀でもなくただの大隊付きといった腰巾着が、軍命令を発してしまう類のもの。駐屯軍でなく、壊走状態にあった「通過部隊」が住民を「あの世の道ずれ」にした可能性も否定できない。そうした日本軍の前近代性が、独立運動以来刀を研いできたフィリピンの軍事法廷に、抵抗できなかった側面もあるだろう。
戦闘を戦争だと勘違いしていたのが、旧日本軍の欠陥の一つではないだろうか。そうした様子を
人生劇場離愁篇
尾崎士郎
で知ることができる。文学者を占領地へ派遣するのはドイツ軍からのパクリだそうだが、隊長さんは文学者に何をさせたら良いのか見当がつかず、結局「気合入れ」をやっていただけなようだ。人間の持つ様々な能力を生かすことが出来ず、上官のに阿諛迎合する腰巾着が出世する組織原理はあまり変わっていないよう思われる。
アベクンを担いで「有事法制」を整備しようという中には、そうした側面もあるだろう。しかし有事法制よりも組織原理の近代化の方が先ではなかろうか。「国債」の上に「戦時国債」を積み上げて甘い汁を吸い、「非常時」のお札でチャラにしよう、という輩を許してはならない、というのが
ここに過去を顧み,さきの大戦に対する深い反省と共に,今後,戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを切に願い,全国民と共に,戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し,心からなる追悼の意を表し,世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。
というお言葉だ。
それにしても、
フィリピンは貧しい。人口が1億人を突破したというのに、主要輸出品は人間だ。IT関連のコールセンターも勤務地が国内、というだけで似たようなものだ。産業近代化がさっぱりなのだね。かっては米の輸出国だったものが、今では米を輸入しているそうだ。1960年に米国の肝いりでIRRIなるものが作られ「米屋のワル」が「肥料屋のワル」と「ラウンドアップ」になった結果だ。
新聞記事によるとTPPを見越してか米の大規模な輸入を思いついた「米屋のワル」がおり、輸入した米が「白米.うるち.もち」合計1万トンだそうな。フィリピンの関税当局は、米の輸入は国の専管事項だからこれは密輸だと、差し押さえたのだそうだ。
「米屋のワル」はおおそれながらと裁判所に告訴したのが2年前、そのまま置けば古々米になってしまうし、TPPも早々手打ちはないだろう、というわけでお奉行様は一般公開入札を行って、売り上げは財政収入にしてしまうのだそうだ。どうもフィリピンというのは、百姓をいじめる悪代官と黄門様、みたいな国かもしれない。
マゼラン以来スペインにしゃぶられ、米西戦争後は米国にしゃぶられ、第二次大戦後は日本からの賠償・借款名義でしゃぶられ、という歴史では、マルコス氏のような独裁者が便利だったのだろう。アキノⅢ世一人の力ではどうにもなるまい。統治機構がエストラーダ氏のようなゴロツキを必要としているのだ。
アベクン一味は相変わらず「インフラ輸出」と称して、同じ手口でしゃぶろうとしている。ヴェトナムも同じ波にさらされているのだが、フィリピンの方が500年近くの植民地暮らしで、社会が疲れている感じがする。
by dehoudai
| 2015-08-15 16:16
| はんせんろん
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