2015年 06月 11日
亀の尾 |
佐野隆一さんという方は1889年生まれで、復金華やかな頃に、鉄で財を成した人のようだ。残されたお宝の中に亀趺碑という、李王朝時代の頌徳碑らしいものがある。ドロボーのパトロンだったなどと評価されるのは、故人の望むところではなかろうから、早く石碑が建てられていたところに「お渡しする」のが、故人の望みでもあろうかと思う。
できれば碑面の写真を盗み撮りできれば、と思ったのだが、不逞な企みは夙に察知されて休館日であった。仕方なしに塀の外から裏面だけをゲットしてきた。
「お渡し」すれば拓本と一緒に佐野隆一先生への謝辞などお返しはあるだろうから、それを展示したほうが、よほど故人の願いに沿うのではなかろうか。
亀の尾の写真を撮ろうとしたが、頌徳碑を背負っているのでお行儀がよく、我が家猫の如く、だらしなく尻尾を伸ばしていないので、写真に撮れなかったのである。
掲示されている佐野隆一さんの写真を見ていると、様々なことが思い浮かぶ。
舌切り雀だったか、花咲か爺さんだったか「良いおじいさん」と「悪いおじいさん」というのがあるが、これは見方によっては「良いおじいさん」が「悪いおじいさん」になり、「悪いおじいさん」が「良いおじいさん」になることだってあるだろう。それよりも「偉いおじいさん」と「偉くないおじいさん」の方がわかりやすい。「怖いおじいさん」と「怖くないおじいさん」というのもありそうだ。それは「幸せないおじいさん」と「不幸なおじいさん」に近いかもしれない。
函南町は1960年代、工場誘致をする代わりに、分譲別荘、保養所などの誘致に力を入れたそうだ。都内に暮らしながら新幹線のおかげで、朝眼を覚ますと目の前に富士山が広がり、小鳥の声を聞きながら、山道を散策する、という仕掛けだ。
しかしそうした成功者としての老後が、幸せなのか不幸なのかは、成功とは別問題ではないだろうか。佐野隆一さんの写真は「偉いおじいさん」という表情をしていたが「怖いおじいさん」という感じもする。「幸せないおじいさん」かどうかはわからない。
1970年代から急速に広がった郊外住宅地が、全国で街並みごと姥捨山になっているそうだ。いずれ高級分譲別荘地も同じ運命をたどるだろう。都市近郊の住宅地と違って、高級分譲別荘地の建て替えは難しそうだ。そうした時、ますます「幸せないおじいさん」と「不幸なおじいさん」の落差は拡大するのではないだろうか。
軽井沢町で耳にしたのは別荘で年寄りが死ぬたびに、蔵書が町立図書館へ持ち込まれるのだそうだ。中には日本近代史上、憲政史上かけがえのない貴重なものもあるのだが、図書館には予算がないので引き取ることができない、相続人は古本には興味がない。困っているうちにゴミとして燃されてしまうのだそうだ。
by dehoudai
| 2015-06-11 23:23
| まちづくり
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