2015年 04月 08日
南洋航路 |
人昭和15年発売だそうだが、当時のパラオには南洋庁関連施設ぐらいで、めぼしい産業はなく、従って人口もそれほどではなかっただろう。現在の人口2万人ほど、というから相馬市の半分弱だ。歌の文句もあまり生活実感のない、漠然とした「戦略的」なものだ。
水木しげるさんの縁者にも「南洋へ出かけて大金持ち」という人がいるが、こちらはマレー半島とか、インドネシアとか、とにかく行商が成り立つとところだったのではあるまいか。
遠州人にとっても「南洋」というのは行商をしに行くところだったのが大きかろう。明治23年東海道鉄道が開通すると、遠州人は反物担いで全国制覇を果たした。大正時代には反物担いで朝鮮半島へ、反物担いで満州へ、というのが遠州の文明開化だ。
それと同様に、反物担いでマレー半島へ、反物担いでスマトラへ、反物担いでジャワへ、というのが遠州人にとっての「南洋」だったのではなかろうか。ジャワ更紗の機械化は浜松が本家となるようだ。それからも反物と同じルート・人脈を通ってポンポンを送り、やがてそれが自動車とモーターボートになり、というのが浜松にとっての「南洋」みたいなところがあって、あまり「国策」とは関係なさそうだ。それが戦略的に働くのは南洋の人々が浜松に良い印象を持ってくれることだろう。
幸い遠州浜松は街道筋なので、昔から他国の人をあまり気にせず一視同人だ。琉球人も居れば朝鮮人もおる、電車に乗れば自動車会社のインド人幹部候補生がナッパ服を着てつり革にぶら下がっている。他国から来た人が浜松のファンになってくれれば、それが一番の資産だろう。
パラオの国旗はバングラデシュと同じく色違いの「日章旗」だが「赤道直下の豊穣の地」という感じのバングラデシュに比べ、パラオは海風が涼しそうだ。
ネットで見る限り、かっての南洋庁所在地と日本との関係は「観光開発」「インフラ開発」といったものであるようだ。相も変わらず文明開化から足を洗えない開発志向が「工業文明の崩壊」後も人々の幸せに結びつくのか、首を傾げてしまう。
写真を見ると海上からは「鋸山」に見えるのではなかろうか。清盛が海軍根拠地とした宮島の弥山と同様「須弥山」の古図に似た印象を受ける。呉軍港を思い出し、帝国海軍の海軍根拠地にふさわしい、と考えた人もいたのではなかろうか。
明人氏は「先の戦争で命を失ったすべての人々」みたいなことを言っていた。君側の奸の思い至らないのは「一視同仁」という言葉の意味だろう。明治政府の始めた近代国家は「欧米先進国」の真似っこなので、「一視同仁」ではなく、「敵」か「味方」か、という二分法になってしまう。民間人を除き、味方の軍人だけを祀る靖国神社は「一視同仁」ではないものの参るところなので、聖上はお出かけにならない。遺族は別として、あそこへ行くのは不忠ものだ。
本日隣のホテルには「中国の社長さん」3台と同時に「ヴェトナムの社長さん」2台が止まっていた。名札には
VietSun
Vietravel
とあったが、ネットで見てもよくわからない。片方はカリブ海クルーズだし、もう一方はヴェトナム語だけなのだ。
150409
観光開発といい原発といい、開発側は風光明媚なところがお好きなようだが、欧米に見られない人口への都市集中のおかげで、重厚長大型のインフラ輸出にもまだまだビジネスチャンスがありそうだ。ここ30年の「東京ゴミ戦争」の経緯と、最新式の完全密封型で匂いのしない清掃工場を大東亜共栄圏へセットで売り込めば良い。
製紙設備の中国への輸出では、廃液処理近代化・原料効率向上・技術輸出で現地周辺住民・製紙会社・富士市の中小企業が三方得をしているそうだ。
by dehoudai
| 2015-04-08 20:56
| にゅーす
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