2015年 04月 04日
志位和夫君 |
選挙らしく浜松駅前では日本共産党志位和夫君が、地方遊説というのをやっていて、結構人だかりがしていた。静岡県警の警察官多数がネトウヨ除けの身辺警護と言おうか「共産党は怖いぞ。」というデモンストレーションか、群衆を整理していた。自民党もダメ、民主党もダメ、という群衆相手に「元祖反対党」を売り込んでいるのだろう。群衆には高齢者が多かった。高齢者の貧困が話題になっているのもあるだろう。
浜松市の財政力は全国8位、であるのに福祉というとあれも47位これも43位。
と熱弁をふるっていた。しかし浜松市は江戸時代からお国を頼らないのが土地柄ではなかろうか。市役所は電通に使嗾されて「家康くん」を売り込んでいるが、家康くんも岡崎から来た進駐軍だ。
あれこれの予算が47位なのは、お上におねだりをすると恐ろしいことになる、というのが市民感情だろう。国に寄り添う地方工業都市に比べると、制度融資の消化率が格段に低いのだそうだ。
松本清張が「深層底流」で描いたように、戦後の経済団体が「国策」のおこぼれに預かって、近代化を果たしたのと対照的に、東京の下町同様、国策を頼らず、自分の腕に頼ってきたようなところがある。国由でなく自由というのが浜松の気風だろう。
なんとか国策のおこぼれに預かろうと活躍した川上源一への評価も、そのあたりで二つに分かれる。税務署と喧嘩をして、帰りがけに芝生に置いてあったホースの先を窓から突っ込み、税務署の中を水浸しにした、という本田宗一郎のやんちゃぶりの方がウケが良い。
「欧米先進国の先進技術」が文明開化以来の国策産業のカラクリであれば「欧米先進国」に学ぶものがなくなった現在、国由よりも自由の方が有利なことは自明だ。東電原発事故の際に連発された「想定外」もそういうことで、根は深い。国由はいずれ国有となり、お荷物になるだけだ。
by dehoudai
| 2015-04-04 17:08
| まちづくり
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