2015年 03月 05日
抜衣紋 |
足利学校前で古書肆を訊ね、話を聞く。四書五経だけでは生業とならないので「中国グッズ」なども扱うらしい。半日根堀り葉堀りすると、面白いものがあるかもしれんが、時間がない。渡良瀬川大蛇行の地図は見たことがないそうだ。
足利は「目上の者の前では煙草を吸わない。」みたいな土地柄かと思ったら、味噌屋の前に縁台が据えてあり、灰皿もあった。ちょいと一服させてもらう。「縁台」も文化なら「一服」も文化だが、近頃とんと見ない。
こみちを探索。日本中が夜毎どんちゃん騒ぎをしていた頃、この辺りも糸偏多額納税大盡が揃っていたのだろう。
ここが我が国エキチカの発祥地ではなかろうか。今ではタイカレー、台湾蕎麦などあるのだが、居酒屋「たんぼ」といふのに入る。抜衣紋に引っかかったのだ。
「沢村田之助曙草子」では岩吉が小靜の亡霊に引っ張り込まれるのが、 橋場の總泉寺とあるが、浅草田圃といふのも結構怖い。天国と地獄は大概背中合わせだ。お姉さんよりお母さんの方が抜衣紋が深い。苦労が深いのだろう。
お品書きに「栃尾の油揚」とある。栃尾は越路であって、長岡の在らしいから、ここの女将も越路の人かもしれん。奥の方には助六氏が陣取って、芝居の話でもしているらしかった。
吉野家のお二人は「ワイン、まだあったでしょ。」とかやっている。近年芸者の形をして、旦那と街を歩いていると、異人が寄ってきて、写真を撮らせてくれと、旦那にシャッターを押させたりするそうだ。
永井荷風氏が描いた彩牋堂主人のような通人が、今でも居ることは居るのだろう。彩牋堂主人は鉄道国有化にしてやられてしまった人だが、浅草は川筋の旦那衆が頑張って、東武鉄道を官鉄にしてやられなかったことで危うく救われた。
お上が「文化とは欧米先進国のもの」であり、それを模倣すれば文化国家になれると勘違いしていたのに対し、浅草では文化は身についたものだ。これから日本が売るべきものはどちらであろう。
「二度づけ御断り」というのは、最初にしばらくソースの器に漬けたままにして置けば良いのだ。
「車がないからタクシーで帰れ。」という指示が来る。タクシー代がもったいないので、歩いて帰ろうとすると、途中で小休が必要となり、その方が高くつくからだ。
by dehoudai
| 2015-03-05 09:40
| まちづくり
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