2015年 03月 01日
越路吹雪ニアラズ |
明治19年の架設にして、経費24,714圓09銭2厘(木橋)私費であるから車付一人前3銭5厘といふ橋銭を取るゝ。鐡道馬車の一區より高いのであるから、其の橋の長いことを知るべし。然しながら抑も新潟市とも謂わるゝものが、木戸銭を取って喜んでいるのは不見識も太甚い。懸下は多額納税大盡の顔揃でいるでは無いか。2萬5千圓ばかりの仂金は誰か一人の手でも奈何かなりさうなものを、僕をして某の富あらしめたらば、3萬圓許ハンカチイフに裹んで橋の欄干に結付けて、萬代橋鐡造改築寄進といふ紙札を下げて来るのであった。
と例によって悲憤慷慨している。新潟というのはちょいと解る、という街では無さそうだ。「天領だったそうだ。」と言ったら某君は「佐渡の金山だな。」と即答があった。某君は金持ちなのでこういうことには反応が早い。私より0.8秒くらい早く頭が回っていた。金山の頃の地下水脈の名残が、現在も残っているのかもしれない。
寺泊の手前でタバコ屋に寄ったら、手製のタコの干物、スルメの生干しなどあったので、某君土産にお買い上げ。おばさん手製の品だそうだ。
川瀬巴水は
落陽
越後郷本
大正10年8月28日
という刷り物を描いている。我が国の産業近代化初日の太陽が日本海に沈むところだ。その郷本が寺泊の近在だというのだが、判然としなかった。後でGoogleMapを見ると志田仏壇店より一里ばかり南であった。ちゃんと調べておけばよかったと反省。
今でも石油を産するようだが、天智天皇に「越後国より燃ゆる水」が献上された頃と違い、年間産出量で町内消費量の1日分を賄えぬらしい。
わが国産業近代化の初日あたりには、新潟にも尾崎紅葉君の悲憤慷慨を受け止めるべき、多額納税石油大盡が居たらしい。
今日のわが国では、風光明媚なところは世人がそれを珍として重じてのことでなく、産業立地が困難であるからという場合が多く、原発などがやってくる。「福島原発の「廃炉」を求める有志の会」などの悲憤慷慨する所以である。
by dehoudai
| 2015-03-01 20:16
| まちづくり
|
Comments(0)