2015年 02月 22日
須弥山 |
有明産海苔の海に小田原産かまぼこと田子港カネサの鰹節が群れ、聳え立つ須弥山の裾には葱の森が茂り、大分県産しらすの雪が積もり、浜松産梅干しの天照大神すなわち大日如来が輝いておる。これに森町三倉伊藤屋の、不老長寿の霊水をたっぷり注いで食すのだ。嗚呼有難哉米食。 須弥山・茶漬・茶漬
上代須弥山の麓には、補陀落宮という社があり、活仏が住している、と信じられていた。平清盛は厳島神社を補陀落宮と信じ、多くを寄進した。
降って徳川家康の頃には、須弥山と補陀落宮が混同され、二荒山に東照宮を造営させた。
金売吉次は本吉かどこかの地元民であったろう、地元民が金銀銅を商うには、地元のことも少しは考えねばならぬ。
しかし須弥山の周りには金・銀・銅も無尽蔵に眠っている、と信じられたものが、京都の金貸し古河市兵衛の小耳に入ったのが、足尾鉱毒事件の発端ではなかろうか。京都の金貸しにとっては坂東の百姓が毒に当たって死ぬくらい、大したことではなかったのだ。
明治になり、河口慧海上人は仏徒の宿願である補陀落宮参拝を果たし、活仏にもお会いするが、補陀落宮は権謀術数の闇であったようだ。
現在、西洋三教を奉ずる者たちには、世界の終わりが近づいている。今活仏は世界平和を訴え続けるる。しかし本当は信じてもいない、共産主義なる一神教を国民に押し付ける北京政府は、お気に召さないようだ。
by dehoudai
| 2015-02-22 11:26
| たべもの
|
Comments(0)