2014年 11月 24日
三聖人 |
〒410-3604
賀茂郡松崎町大沢20-1
というところへ行ってきた。
土屋三余・依田佐二平・依田勉三を松崎の三聖人と呼ぶのだそうだ。偉人とか賢人と呼ばずに、聖人と呼ぶのが明治の雰囲気なのだろうか。
土屋三余先生は北条氏に仕える家柄で、安政6(1859)年松崎に「三余塾」を開いたそうだ。「三余」は「冬・雨・夜には勉強をしなさい。」ということらしい。夜中までゲームをやってはいかんのだ。 依田家は甲州武田家の流れを組む庄屋さんの家の人だそうな。依田佐二平(左)さんは松崎に製糸工場を開いた。松崎繭の元祖だ。
依田勉三(右)さんは明治14年帯広で開拓をやったのだそうだ。「道路開通は開拓の大本なり」というのがピンとこず、奥地で苦労したようだ。帯広に立つ銅像は、中島みゆきちゃんのじーさんが世話人をやっていたそうだ。なるほど「地上の星」というのは「開拓の歌」であったのか。 三聖人を祀る建物だから三聖公堂だろうか、扁額を見落とした。 六花亭のマルセイバタ−サンドのマルセイは丸成であり、依田勉三さんの「晩成社」のマークなのだそうだ。じっと見ていると「「成せば成る」という感じがしてくる。
いっそのこと今やっている道の駅に六花亭も出してもらう、ついでにソフトクリームも帯広から仕入れたらどうだろう。身元はちゃんとしているぞーっ。
面白かったのはテレビの大河ドラマで西田敏行がやっていた西郷頼母御家老が、明治4年から明治7年まで、ここで先生をやっていたことだ。
明治22年東海道鉄道開通までは、船路が今の高速道路と新幹線と情報ネットを合わせたようなもので、東西を行き来した若者たちの交流が、松崎にもあったような気がする。
というわけで次は一気にマルコポーロの時代へ行ってみよう。
三聖人
by dehoudai
| 2014-11-24 18:07
| まちづくり
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