2014年 11月 23日
無くなったもの |
無くなったこと/吉田謹治
私家版 2010
という現場サイドからの自分史の名著があるが、こちらは
西伊豆海岸/雲見温泉/温泉民宿
みどり荘
〒410-3615 静岡県賀茂郡松崎町雲見241
TEL 0558-45-0666
である。
昨日・本日は「無くなったこと」ではなく、「湯の町エレジー」の時代から今までに「無くなったもの」と出会う旅をしてきた。
伊豆の山々 月淡く
とやっているところだ。「湯の町エレジー」が発表されたのは1948年だそうだが、1962年に伊豆急が開通した後も、西伊豆は長く「秘境」であったので、明かりが暗いのに加え、昨夜は旧暦10月1日で、月も無く、酔っ払いが川端を歩くと、危険であった。右手の山でなにやら動くものがあったが、タヌキというより猫だろう。 籐椅子というのがその昔の「静養」アイテムであった。縁側と6畳続きの天井は船底天井になっているので、心地よく酔いが廻る。 一昔前の宿屋のトイレと洗面所は、廊下の突き当たりにあるのが常式であった。良い天気である。 一昔前、灰皿もジェントルマンの寝る部屋の必須アイテムであった。 ちゃんとした旅館には踏み込みがあった。この場合海の近くということで、砂利やらヒトデなどを模したタイルが入れてあるので、足に冷たい。
また日本の旅館というのは鍵の無いのが当たり前だった。床脇に現金を置いておいたまま出掛けても、無くなる心配がない、というのが当たり前のことであったのを、エドワード・モース先生は自慢げに記している。 国道136号線のすぐ下に昔ながらの道が残っていた。明治の末年には鉄道の終点は大仁で、家孫が祖母に手を引かれ、神子元島の灯台守りをしていた祖父に会いに行った折には、天城のトンネルを歩いて越したのだ。
西伊豆の海岸を縦走する国道136号線が、有料道路として全通したのはずいぶん後のことで、土肥から戸田に抜ける県道17号線は1970年にはまだ未舗装だった。道路網の整備は西伊豆の漁獲の集積地だった沼津漁港の地域優位を終わらせることにもなった。 月日は移り、旧道の目につかないところにはテレビやモニターが捨ててある。昔は長持ちするものが珍重されたのに、今では製造物責任を問われない、サービス期間の終了とともに壊れる、という商品開発が進んでいる。
松崎へ至る「バスの時間を見る。」人も減っただろう。 雲見までくれば「水は清き」なのだが、棚田はすでに放棄されている。 朝食
T君はカネサで田子節をお買い上げ。「鰹節かきがねーだろ。」と聞いたら、気合いの入りまくった鰹節かきをお買い上げ。値段も立派だったが、おそらく30年後には孫が「これはその昔、爺さんが田子港で買ったものだ。」とか言っているだろう。
そのためには荒砥と仕上砥、計2本が必要だが、気付いておるや否や?
ひじきあり、納豆は店屋で買わなければならないが、オクラなら畑にあり、温泉卵あり、季節とて柿あり、その昔は天草で家が建った、ということで「コーヒーゼリーあり。」というので、「それはコーヒー寒天というべきだ。」と訂正しておいた。 先代が船大工だった、ということで、ご亭主が手を掛けた和船の雛形あり。大瀬神社の絵馬堂に奉納されている和船の雛形は、船大工の小僧が修行に作るものらしく、厳密な縮尺のものになっているが、こちらはご亭主の思い入れがたっぷり詰まったものらしい。 やはり民宿といえばコレでしょう、という極め付けは「頭痛にケロリン」の湯桶だ。
クロス集計の手法を使えば、「静養=頭痛にケロリン」の時代となる。
その頃はまだ「湯豆腐=鰹節をかくのは子供の仕事」だったのではないか?どうしてもコンビニ飯の方が幸せ、とは思えない。
手前味噌に対する売っている味噌同様、「窒素ガス封入花かつおパック」では、匂いがしないのだ。
パンフレットに載るお孫さん達は看護師をしておられるそうだが、みどり荘の目下の楽しみは、別のお孫さんがそのうちメジャーリーガーになりはせんかということらしい。
雲見はダイビングの名所であるようだ。海底に船の影が写っているなど、さすが「秘境」だ。岸壁でも魚を釣っている親子がいた。 死んで白くなった小さなエイともう一匹が沈んでいる。やがてカニか小魚に姿を変えるのだろう。そしてそのたんぱく質が巡り巡って酒の肴になり、我々の体になることが良く分かる。死んだ魚は臭いと、いうところで思考停止してしまう現代人は、子供に比べると随分鈍感になっているのだ、
浜名湖でも我々の子供の頃には、冬には礫島の12m下の海底にあるウナギの穴から、ウナギが出たり入ったりするのが見えたそうだ。今では見えるのは冬でも2m程だろう。
夏になると弁天島のホテル街の前の澪へガキ大将が和船を止め、4-5mの底へ潜るとハマグリを撮ってきたものだ。そのハマグリも近ごろとんと見ない。
この辺りでダイビングをする人はスタジオジブリの「ポニョ」などが好みなのではないだろうか。様々なことを問いかけてくるアニメなのだが、「津波」でお蔵入りになってしまったのは残念なことだ。
さて西伊豆の旅は松崎繭からガーッと遡り、西郷頼母を経て、中島みゆき「地上の星」の歌を聴きながら、帯広開拓をめぐり、その最後にはこれまたとんでもないものに出会って、一気に文永・弘安の役の「次の一手」へと、鎌倉時代に遡ってしまうのだが、以下次号を待て。
無くなったもの
長八の宿
by dehoudai
| 2014-11-23 21:46
| まちづくり
|
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