2014年 09月 23日
魔女の館で暮らす? |
という記事が出ていたそうで、早速見物して来た。
道路中心線から40mまでは第2種中高層住居専用地域と、何でも建てられる土地に指定されている。高層アパートが建ち並ぶ街になる筈だったのだろうか。周辺には郊外型レストランなどもあるのだが、飛竜街道へ出ると廃業したレストランもみられる。医大周辺も「バブルの街」と言う雰囲気だ。バブル崩壊までは賑わった郊外型レストランも、コンビニ弁当になってしまったのだろうか。
表通りからひとつ奥に入ると住宅街なのだが、これも第1種中高層住居専用地域と、高層アパートを建ち並べられる地域指定がされている。地域指定に関わらず現況は低層住宅地だ。アーバンデザインの欠陥と言うより、地権者の権利擁護がこの先何十年かに渡って、不思議なまちなみを作り出すのだろう。
本当を言えば私はこうした建物がダイスキだ。もし許されるなら、そしてそうした建物に住んで、何十年か飽きない、と言うクライアントが居れば、設計をしてみたいと思う。ただし環境破壊にならない様、少なくとも1,000坪以上の土地と、その土地を荒らさないで手入れを出来る人でなければお断りしたい。
多分打合せの途中から「英国か仏国か、安く上げるなら西国で古屋を買った方が安い。」ということになりそうだ。50坪くらいの古屋が500万円ぐらい、年間50万円程出せば掃除が行き届き、電話一本で出かけた日には冷蔵庫は満杯、暖炉には火が燃えて、割った薪も積んであるそうだ。
140928
大英博物館で「魔女とその身体」という展覧会があり、
Independentに紹介記事があった。
2013年にマーガレット・サッチャーさんが死んだ時には"Ding dong, the witch is dead”というのが流行ったそうだ。
歴史的にも「若い女」が象徴する若さ・美しさ・豊穣・繁栄が、歳を取ると口うるさい・醜い・貧乏な「ばばあ」になるというのが、性差別・高齢者差別と結びついて来た、と言う様な話。日本でいえば「浅茅が原の鬼婆」が筆頭株だ。
YouTubeには석정현さんと言う人が描いた「女の一生」みたいな動画も上がっているが、こちらは65歳ぐらいで切ってあり、肝腎な鬼婆の顔は描かれていない。
フランシスコ教皇はせっせとカトリック教会のヴァージョンアップに勤めているが、「解放の神学」や「魔女」には「貧困」を軸に様々な論議がある様だ。
テレビでは辰野金吾先生の東京駅を映していた。今更ながらに装飾やディテールなどを見ると、職人の仕事はともかく、企画・計画・設計が半田町の「魔女の館」とそっくりではないか。
東京停車場と感想
読売新聞大正四年一月三十一日
遠藤新
で遠藤君が論じている通りだ。鉄道では線路が肝腎なのであって、建築なんてものは付け足りなのだね。 さすがに三井両替店の裏へ建った日本銀行の方はリキが入っているが、駅舎はTDL式のハリボテの如しだ。
Oさんの撮る台湾の街角の写真など見ていると、我国ではどうも文明開化の時代、西洋文明を受容するについて、勘違いがあった様だ。我国人は鴨長明の言う通り
行く川の流れは絶へずして、しかも元の水にあらず、建物亦同じ。
という「寓居思想」が生得のものではなかろうか。そこへ持って来て「一度建てたものはこの世の終まで使う。」という文化の上に建てられた西洋建築を持って来たのだが、見てくれはともかく、建物の寿命に関しては、おいそれと西洋の伝統を受容するには至らず「火事と喧嘩は江戸の華」で、10年も経ったら燃えちまうさ、式の帝都建設を進めたのだろう。
振り返れば明治維新以来の大方の建築物は、そうして建てられて来た。50年経ったから国立競技場も壊してしまえ、というのもそういった仕来りだ。スチュァート・ブラントに倣えば「建物が風景になるには50年掛かる」のであって、この国で風景と言えば神社仏閣に限られる。
建物はおろか、1960年代以降の近代的な住宅街さえも、この国では世代を超えて受け継がれることは無く、まちなみごと「姨捨山」と化しつつある。
そうして見ると明治以来の「洋風住宅」も大方がTDL式のハリボテであって、「魔女の館」を嗤うことは出来ない。
英国で2000年にまとめられた「都市再生に向けて」という報告書を瞥見すると、リチャード・ロジャース川端卿は、そうしたTokyoの伝統が羨ましくて仕方が無いらしい。ロンドンでは「ちょいと再開発」をやろうにも、「Haunted Mansionなぞあって計画が暗礁に。」てな話が普通の様だ。
ロンドン式で行くなら国立競技場には、昭和18年10月21日「文部省主催出陣學徒壮行大會」で戦地に送られ、帰らぬ英霊となった若者達の怨霊が取り憑いており云々、という筋書きが良いぞ。
by dehoudai
| 2014-09-23 16:11
| まちづくり
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