2014年 08月 17日
看板の無い街 |
浜松がそうであるのだから、庶民も山東省からフェリーで渡れる、大韓民国の事情は推して知るべし。最早朝貢国という日清戦争以前の「正常な関係」に逆戻りしつつあるのだろう。
烤五花肉
猪蹄
前方到站是
飮水台
整形外科
有朋自遠方来・只限 4天!SALE 7-9折
などという簡体字の看板がソウルの街角にあふれ始めているそうだ。
学校教育から漢字を追放した結果、自分の子どもの名前を漢字で書けない父親が全体の半分を占め、30代では63%にもなるそうだ。それにもかかわらず、国策より経済が人々を動かす。
없어 無い
없어 無い
없어 無い
없이 無く
봄 春
여름 夏
가을 秋
겨울 冬
というのは特高警察に殺された尹東柱君の詩なのだが、京都から帰省した尹君を迎えた、龍井の街を埋めていたのは、日本式の漢字であったかもしれない。最近のソウルの町を埋め始めているのは簡体字なので、尹君にとっても増々以て看板の無い街だ。
新美南吉さんの在所では、南吉が17歳の時に書いた
아버지의 나라 父の国
니이미 낭끼지 新美南吉
1930.9
니이미 낭끼지 新美南吉
1930.9
という小品を、有志が朝鮮学校の先生に翻訳してもらって、冊子を作成したそうだ。これはちょっと良い話。
by dehoudai
| 2014-08-17 14:13
| きせつ
|
Comments(0)