2014年 06月 14日
黄昏 |
日の出が開け六つで、日の入が暮れ六つ、という幕藩時代の時間認識は、それなりの合理性を持っていた様だ。今では夏の冬も午後6時と言えば午後6時なので、季節の命ずるところによって暮らす、という豊かさは無い。 産業革命期の英国の「工場」には、大きな時計が掲げられている。それまで「日の出から日の入」までだった人々の暮らしが、ミヒャエル・エンデ言うところの「時間泥棒」によって奪われてしまい、夏でも冬でも同じ時計の命ずるところによって、暮らさなければならなくなった様子が見て取れる。 「本日例大祭」というポスターが元魚町に出ていたのを思い出して、松尾神社に行ってみたが、既に片付けが始まっていた。「輪くぐり」は無いのか聞いたら、30日だとの事。昔からの町では年行事が負担になっているのではなかろうか。
例大祭のヴィデオがYouTubeに出ていた。当然の事ながら、こちらの方が「浜松祭」の練りより古式だ。
「浜松祭」の方はは大正元年創業の鉄道院浜松工場へ乗り込んで来た、新橋工場からの750名を筆頭にした職工が、「からだに傷跡か、ほりものの一つ位がなければ、幅がきかなかった。(日本国有鉄道浜松工場「40年のあゆみ」)」という辺りが源流だろう。
門前の親不孝横町にも笹が揺れていて、三田村鳶魚先生の「江戸の七夕」を思い出した事である。
神田明神やら鎌倉がらみのものを除けば、日枝神社から豊川稲荷に至るまで、大方の「江戸文化」も当地から担いで行ったものが多い。ところが松尾神は江戸には御出でになっていないのには、それなりの理由があるのだろう。
by dehoudai
| 2014-06-14 23:02
| きせつ
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