2014年 03月 18日
うみ |
鎖国と言うが日本が国を「閉ざして」いたことは無く、繰り返しお達しが出されたのは「外国貿易は国がやります。」つまり「民百姓が外国貿易をしてはいけません。」ということなのだから「鎖国」というより「鎖民」と言った方が正確なのではなかろうか。
後ろにはお寺が「七幅神」やら「不動明王」やらを並べて、善男女を集めている。世界遺産に登録されたそうで、しゃもじの元祖も「飯を食わない人々」には手を焼いているのではなかろうか。
國寳大雑書 所収
嘉永六癸丑六月 輯者 興文堂主人 画師 柳川重信
嘉永六癸丑年秋七月 皇都書林 堀川二条下ル越後屋治兵衛他 明治の御一新とともに、豊臣秀吉の向うを張って「朝鮮征伐」となったおり、大本営が置かれたのが広島だった。陸軍の兵站基地となった宇品港は殷賑を極め、歌にまで歌われた。
空も港も夜ははれて
月に数ます船のかげ
端艇の通いにぎやかに
寄せくる波も黄金なり
人類にとって不幸なことは、文明開化による近代兵器で武装した日本軍が、三国志の頃と同じ組織論からなる清国軍に勝利してしまったことだった。 忠勇無双の我が兵はともかく、京城に乗り込んで「小早川、加藤小西が世にあらば、今宵の月をいかに見るらむ」と歌った幹部連中が「近くのものは大きく見えるが、遠くのものは小さく見える。」という遠近法の原理に疎かったのだ。
「完全軍装での行軍訓練」と称して、外様大名の生き血を吸う筋書きだったのに、民百姓の苦しみを知らないオサムライサン達によって、いつの間にやら「夜毎に女を引き寄せてのどんちゃん騒ぎ」と化してしまった参勤交代制度の弊害が、ニューギニア戦線・インパール作戦では露呈している。
日清戦争に勝利した頃の日本人は、まことに好戦的な国民だったろう。1945年8月人類初の核兵器を投下する場所が決まったのも、この頃ではなかろうか。東京大空襲、浜松大空襲同様、広島でも爆撃地点は軍事施設を無傷で接収することを前提にしている。
おごれる人も久しからず
ただ春の世の夢のごとし
by dehoudai
| 2014-03-18 19:29
| きせつ
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