2014年 03月 06日
医者様 |
母の生前、愛知御津に連れて行ったことがある。小学校の頃そこで「医者様の娘」として育っているのだ。当時住んでいた家はそのままの形で残っていて、名前は変わっていたが、母の一家が引っ越した後も「医者様」として使われていたことが分かる。田舎の「医者様」は「エライヒト」なので、建物もそういう作りになっているのだ。
西洋では「神様のいうことが聞けんのか?」というのが、医者の父権主義を作り出している様だが、日本では同様に「天皇陛下のいうことが聞けんのか?」となっていた。家庭内の父権が失墜すると、医者の父権も怪しいものだとなりゆくのだろう。医療裁判の激増などその兆候だ。
この国の医療にはどうも暗い所がある。文明開化の頃、それまでの伝統医療に代えて、近代医学を取り入れた時も「人を幸せにする科学」としてではなく「壊れたヘイタイサンを直して、元の殺人兵器にする」軍陣医学が根幹だったこともあろう。医者の父権主義もその名残だ。
日頃巨額の予算を擁して侍医を騙り、学会に君臨する某大学が、いざ明仁氏の心臓にメスを入れなければ、という場面になると、物陰にかくれて佐倉藩佐藤尚中先生にタライを廻すなど、李鴻章暗殺未遂事件の頃と変わらない。
西洋三教・国家神道といった一神教の世界と、東洋多神教の世界では医療の姿も全く違うのではなかろうか。一神教では病気も「普遍化」という分析法を通して解明される。現代の医者がめんどくさいので、測定値しか見ないのを見れば良く解る。
ところが東洋医学では人間が60億人いれば、心身の状態も60億通りある訳で、簡単に「同じ病気」とひっくくるる訳にはいかないというのが出発点だ。そうした東洋の医者の姿を描き出した好著に
南谷先生
兪鎮午
1942 国民文学
1996 <外地>の日本語文学選3 新宿書房
がある。この小説に出て来るのは名医なのだが、東洋では医者というのは薬酒店の門前で、易者と同じく黒い布で覆った見台を据えて客を待ち、処方を書いて金をもらうという、まあ薬屋の売り子のような所から始まるのだそうだ。
笑うなかれ現代日本でも患者を見ず測定値を見て、薬屋の売り子をやる医者が多いのではなかろうか。
中学同級のR君の尊父は、駅前でパチンコ屋をやっていた、ということしか知らなかったのだが、臺湾の医家の御子息で、医学を目指して早稲田大学に留学したものの、終戦でそれどころではなくなってしまった、という話を聞いた。お孫さんが薬科に合格したのを喜んでおられた、とのことなのだが、医家同様、薬家も「南谷先生」の時代の薬家ではなかろう。
by dehoudai
| 2014-03-06 10:44
| まちづくり
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