2014年 01月 18日
共和国祭 |
その折の首都がマロロス市ということで、共和国115年紀念の共和国祭が開催されている。「アギナルドとブラカンの英雄を讃えて。」ということで各種催し物があるようだ。
大日本帝国は日清戦争に勝利して国権伸張の時代へ突入、臺湾では民衆が「臺湾民主國」の「伯理璽天徳(プレジデントね)」に推戴せんと、唐景崧を担いだが、唐は清国による臺湾巡撫であったので、臺湾割譲という国策に反することは出来ず、大陸へ逃げ帰ってしまった。
仏蘭西はヴェトナムへ襲いかかって仏領印度支那を成立させてから暫く後、潘佩珠先生が反仏独立の手掛りを求めて来日する少し前だ。
ところで共和国と言うが「国家が国民全体に所有されている状態」すなわち主権在民なのだが、「君主が存在しない国家」というのが解せない。主権者ではなく象徴としての天皇を戴く日本国は、共和国なのか共和国ではないのか?
幕末の毛唐の様に「大君というのは将軍ではないか?」と首をかしげてみても分からんのだから、「この国には天子様と言うお方が御座って、、、」と言われても、ピンとこなかった幕末の大衆同様、私もそっち方面には無知蒙昧だ。吉田松陰先生の様に
侍だけで戦争をやるのでなく、ナポレオンの様に全員参加で戦争をやれば絶対勝てる。
というのは分かるのだが、日本人は戦争がヘタなので「国民皆兵」だの「徴兵制」と言われてもピンと来無いのだ。
フィリピンではその後も独立戦争が続き、米国では手を焼いた末に「独立国と言う名の植民地」の研究を進めた。
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
という日本国憲法は1935年フィリピン憲法に類似する、という説も面白い。
平和憲法と言いながら、文部省が
天子様の身体です。大事にします。鍛えます。
と、人間を使って、もっとも安上がりな兵器を量産していた「国民皆兵」の頃と相も変わらず、
自分の頭で考えてはいけません。先生が言った通りのことを覚えて、先生が言った通りにしなさい。
とやっているもんだから、いじめは無くならないし、幼児虐待で邪魔な子供を殺したやつが、言訳に
しつけでした。
と文部省の考える「しつけ」を評価しているのだ。
自分の頭で善悪を考えてはいけません。お金をくれた人の言う通りにしなさい。
と女子高生売春を育てているのも、詰まるところ学校教育だ。
by dehoudai
| 2014-01-18 00:53
| にゅーす
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