2014年 01月 03日
美しい日本 |
この国は美しいと、しみじみ思う。
取り付け道路の上り下りを除けば、東名よりは少し早い。「メーター見なかったら140km/hになってた。」からだ。しかし同時に、そうした便利さがこの国の美しさを汚しているのではないかと心配になる。
新東名でメーターに気を配らなければならないのは、設計が120km/hだからだそうだ。現代の軽自動車ではこれは巡航速度だ。そうした「欧米の先進技術」を通してみると、静岡県の山々も、米国でインターステートから見るカスケード山脈と似た様なものに見えてしまう。
英国のウェストン師が明治時代に「日本アルプス」の山々に登頂し「近代登山の父」と呼ばれたそうだが、どこの山頂にも修験者の信仰の証しが残されていたそうだ。西洋三教は「地上に神の国を拡げよう」すなわち「世界征服」であるが、我々日本人のとっての信仰は少し違う様な気がする。
インターステートを3日も走れば、日本と米国の広さの違う事が解るだろう。「大陸横断鉄道という新技術が無ければ、米国がひとつの国家だという、馬鹿げたことを言うものは無かっただろう。」といった事をH.G.ウェルズは「世界史概観」で述べている。
「国の宝は山であり、山の衰えは国衰である」として、営々として杉・桧を植え続けた先人の努力には頭が下がる。現在我々が見るのは「放って置いたらこうなった。」という自然の姿ではないのだ。照葉樹林を拓いて杉・桧を植えた静岡県の山も美しいが、冬の阿武隈山脈の落葉広葉樹林の明るさも美しい。
そうした日本の山は今、「林業は環境保全とは関係のない、木材生産だ。」とする木材輸入によって、竹薮と化しつつある。竹薮が潜在自然植生に遷移するには2,000年程の時間が必要だそうだ。
そうした国土の違いを問わずに「欧米の先進技術」から便利さだけを学ぶについて、あるいは便利さだけを享受しようとして、失われるものに思いを巡らさないのは「考えが足りない。」と誹られても仕方無い。
谷筋には送電線が重畳としている。これも同様に便利さだけを享受しようとして、失われるものに思いを巡らさないのは「考えが足りない。」と誹られても仕方無い。この国で政治家と称する人々は「考えが足りない。」のが条件だ。
浜名湖が昔の様にきれいにならないものか?
と問うたら、某君は
昔の様に誰も車に乗らず、電気も使わなければね。
と言ったが、それを可能にするのが技術ではなかろうか。浜名湖が汚くなるのは、技術がいけないのではなく、街外れのゴミ捨て場に、何でも捨ててしまう様なところで育った「米国の先進技術」が「技術」だと勘違いした所にありはしないか。
一体この国の「国策」は東電事故から学んでいるのか?事故直後に見たように、教科書に出ていない「想定外」には手も足も出ず「神風・特攻」しか無いのか?排気ガス浄化技術で米国の自動車産業に克った「民策」の足下にも及ばない。
by dehoudai
| 2014-01-03 13:35
| まちづくり
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