2013年 12月 06日
月光値千金 |
以前住んでいた借家の襖には、海岸の風景が描かれていた。海の水が雲母摺になっていて、夜中に電灯を消すと、月の光に海景が浮かび上がる仕掛けだ。つい昨日の日本人には、そうしたものを美しいと感じる感性が残っていたのだ。
川瀬巴水
渡邊庄三郎 昭和5年
川瀬巴水は水を照らすだけでなく、月光の様々な情景を数多く書いている。「真昼の様な月の光」というのも、現代の日本人が忘れかけているものではなかろうか。
奥州三島川
川瀬巴水
渡邊庄三郎 大正8年夏
「奥州三島川」には既に、彼の画業の真髄のひとつが描かれている。巴水の絵は明るいスポットライトを当てて見るのでなく、月光でかろうじて見えるくらいがきれいだ。
そうした「月光値千金」というものを、いつ頃からか日本人は忘れ果ててしまった。文政2年中秋の月見の宴でも、主役は月光であったのだから、灯火と言っても可愛いものだっただろう。
御一新の文明開化の象徴のひとつは「電燈」ではなかったろうか。濱松では明治35年に濱松電燈株式会社が出来た。当時の火力発電所の後には今でも中部電力の営業所があって、浜岡原発で拵えた電氣を売ってくれる。
太平洋戦争敗戦後しばらくは、一軒の家に許されたのは20ワットの電燈一個だったそうだ。江戸東京博物館に「新宿小津組マーケット」のジオラマがあるが、各店舗に20ワットの電燈があるきりなので、現代人が見ると真っ暗だ。
これに眼を付けた正力松太郎さんが「原子力の平和利用」をぶちあげ、国民は諸手を上げてそれに飛びついた。挙げ句が近代科学の終焉を象徴する、東電事故だ。
それにも懲りず日本人は「月光値千金」を思い出そうとはしない。地球上で最も明るい商業施設は、我国のパチンコ店ではあるまいか。チンジャラの音と共に、異様な高照度の照明を浴びると、人々は自分の懐に金がざくざく入って来る様な幻想に囚われるのだ。
田原藩士渡邊登君を現代のパチンコ屋につれて行けば、憤死してしまうだろう。
逆にどんちゃん騒ぎの家元、酒井雅楽頭一門の妖怪である鳥居耀蔵なぞ、パチンコ屋の照明と、テレビのバラエティショウを見せれば
天下万民を白痴化するには、これだ!
と、飛びつくであろう。
観世小謡萬聲楽
速水春暁画
京師山本長兵衛 文政6癸未歳仲春
より
「ナイターで巨人軍」という正力松太郎さんも警視庁官房主事から、おばかテレビの社長さんへと、鳥居の妖怪と経歴が似ている。
東電事故で近代科学の終焉が明らかになった今、「月光値千金」を思い出すのも良かろう。
月光値千金
by dehoudai
| 2013-12-06 12:22
| まちづくり
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