2013年 11月 05日
不忠不孝 |
幕末にあって、渡邊登君は開国の避けざるを得ないことを悟り、主家の大事に及ばんと怖れるよって人々に切腹させらた。
地元だけあって、浜松近辺にも登君や福田半香・平井顕斎の軸が残されている様だ。以前氣賀近藤家の庭を眺めながらの酒席では、半香が掛かっていた。役場に会場を紹介してもらうと、そういうことになるのだ。
渥美窯の展示をやっていた。平安時代に起り、鎌倉時代には絶えてしまったそうだ。渥美半島には山が無い。山が無ければ水も無い。水が無ければ米も無い、土はありそうだから、窯でも燃せ、と始まったことだろう。
東大寺や中尊寺にも製品を収めていた、と言うから地場産業として進化論的に発展した窯ではなく、国家による特定産地として始まったものだろう。
菜畑遺跡・板付遺跡という、九州にある日本最古の水田遺構と、垂柳遺跡・砂沢遺跡という青森県最古の水田遺跡は、100年程の編年差しか無いという説もある。日本という国は、地域産業が進化論的に発展して、出来た国であるよりは、中央集権国家として成立したと見た方が、辻褄が合う。
常滑から瀬戸に至る窯業地帯と違い、渥美半島から窯の火が絶えたのは、何故なのだろう。登君は食う為に絵を売って、それが幹部の癇に触り、国元に呼び寄せられて切腹させらたとも見える。
不忠不孝
by dehoudai
| 2013-11-05 10:20
| まちづくり
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