2013年 10月 15日
テルマエロマエ |
道端に「大塚国際美術館」というのがあったので、冷やかしてみた。泰西名画の写真を実物大にして、セラミックプレートに焼き付けてある。
細かいところまで釉薬を変えて反射率を真似てあるので、本物に見える、という趣向だ。
しかしねえ、「古代」から「近代」に至る泰西名画を続けてみる、というのも結構苦痛だ。趣味も好き嫌いもへったくれも無い、美術史の教科書を、実物大に引き延ばしたから鑑賞しろ、という仕掛けだ。日本人は教科書の丸暗記というのが身に付いている。
見終わってくたびれ果て、それでも感じるものがある。ヘブライ教・キリスト教・イスラム教という、西洋三教は、「宇宙の全ては7日間で創造主が造った」という、迷信に基づいているのだが、そんな邪教がなぜはびこっているかと言えば、「最後の審判」が来て「人類は滅亡する」という仕掛けを考えたからだ。「タケシのブラックホスピタル」程度の脅し商売なのだが、これが結構人々を支配する役に立つのだ。
まあ原発事故収束作業など見ていると「最後の審判」なんてのは「自滅の言訳」だ。猿が人になって、地球をお騒がせして20万年、自滅しても「元の木阿弥」で何かが後に続くだろう。
宝塚温泉へ「露馬風呂」を建てて、少女歌劇を見せる、という「大塚国際美術館」と似た様な思いつきは、日本に限らず、英国でも同じだ。「テルマエロマエ」は入浴用の「露馬風呂」と勘違いして18世紀末、Bathの温泉近くにロイアルクレセントを建て、ジョージ4世の王世子などが、遊び人を集めてどんちゃん騒ぎをしておった。
現在では観光客が行っても入浴は出来ず、コップ1杯1ポンド也で飲むしか無い。飲用にも効能あるとのこと。刀傷を温泉で癒すというのは、日本各地にも伝承が残るが、アルビオンの如き人外魔境はともかく、帝都の「露馬風呂」は入浴よりも、むしろフロアヒーテイングが眼目だっただろう。
沸かし湯を床下に通して暖房した部屋で、ローマ帝国の運命が決められていた。唐の大明宮にも大規模な「炕」があったそうだ。床暖房の効いた部屋で、湯上がりの一杯機嫌で、レクタスへ若い娘を引きつけながら軍談、というのがローマ帝国滅亡の一因だ。大日本帝国軍も「上に行く程酒臭かった。」そうだ。
1936年から1940年まで、国を逐われたエチオピアのハイレ・セラシエ皇帝陛下はBathに潜伏しておったそうだ。
ん?オレはちょっと風呂屋へ行って来る。とか言って、そのままドロンしちゃうというやつだ。
日本人にも元来温泉へ繰り出す下地はある。蔵王温泉なども修験者のものだったところへ、失脚して島流しになった、従四位下侍従水野越前守様の御家中が押し掛けて、鬱憤ばらしで賑わったのではなかろうか。
大日本帝国になるとローマ帝国に倣い、植民地をこさえると、兵舎・監獄と同時に宝塚式の「露馬風呂」を各地に造った。
대전시유성온천には浸かったことがあるぞ。Bathと違って今でも入浴出来る。鞍山汤岗子温泉には新京入城まで、末代皇帝爱新觉罗溥仪氏が、関東軍によって押込めになっていた。今はどうなっているか、行ってみると面白いかもしれん。
まあ湯上がりに「オロナミンC」くらいでは帝国は滅びないだろうが。
トリクリニウム
by dehoudai
| 2013-10-15 09:40
| まちづくり
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