2013年 09月 11日
大瀬崎 |
伊豆でもかっての漁業は魚を獲って売るものだったが、今の漁業では「漁獲」はヨット係留権なのである。「遊漁船」までは魚の匂いがするが、「ヨット漁」になると匂いもしなくなってしまう。
カリフォルニア州モントレーの"Cannery Row"も、かっては漁港だったものが観光で生き延びている。
明治23年に東海道鉄道が開通し、海道筋の姿は急速に変わって行くのだが、伊豆の津々浦々は「松崎繭」に見られる通り、別の形での文明開化に沸き立っていたようだ。河北新報が伝える三陸の文明開化と同じ頃だ。帆船にはやがて発動機が備えられ、それが遠洋漁業へと発展して行く。
そうした伊豆半島の漁業が変わる、ひとつの象徴は1965年のマリアナ海域漁船集団遭難事件だろう。「大型化・集約化・機械化」という「近代化」の落とし穴が猛威を振るったのだ。
1961年の伊豆急開通で「伊豆は観光で食え、その代わり原発は堪忍してやる。」というわけでホテルに地魚を届けるようになった、伊豆の漁業なのだが、ホテルに地魚を届けるのも、漁業が産業として成り立っていればこその話だ。
原子力発電所を進めるものは「国家百年の計」どころか、10年先のことも頭に無いようだが、そういう人々こそ竜宮の近くで、数万年数億年の時間を省察して欲しい。
環境型観光
伊豆はギリシャだった
by dehoudai
| 2013-09-11 09:35
| まちづくり
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