2013年 08月 27日
住宅貧困層 |
建築雑誌が「アジアン・ハウジング・ナウ」という特集をしている。斜めに眼を通してみたのだが、何となく違和感がある。先進工業国から発展途上国を導く、という上から目線が気になるのだ。
住まいに「恵まれているかどうか」を、工業国のフィジカル・スタンダードで計るのと「幸せかどうか?」というのとでは、ちょっとしたズレがあるのではないだろうか。
「狭いながらも楽しい我が家」で良いではないか。関東大震災の復興住宅は12坪だったが、中廊下型の「狭いながらも楽しい我が家」だ。
鴨江には昭和20年代と見られる、7坪程の借家があるが、これとて「嬉し恥ずかし新所帯。」という感じがする。
佐田啓司・若尾文子の/涙/松竹1956では、ヒロインはおじさんの家の二階の廊下に寝起きしている。
ところでそんな時代、夜のニュースは「7時のニュース」だった。バスから降りて5分も歩けば、ちょうどニュースの時間だったのだ。
現代の日本では戸建て住宅に住もうと思うと、終電車まで働いて、2時間掛かりで帰宅するとバタンキューなので、ニュースは電車の中でパッドで見るのだ。世田谷辺の戦前の住宅地は、やはり狭いながらもではあるが、手直しをすれば今でも住める。
それがいつの間にやら住宅は「一世一代」となってしまって、30年経ったら建て直さなければならない。「一生働いて家一軒」だ。木造戸建て住宅だけでなく、RC,SRCの超高層マンションも「30年で建替え」というのがザラだ。
「一生働いて家一軒」のおかげで、産業廃棄物の2/3が建築廃材という日本は、世界でも稀な、異様な住宅事情だと言えよう。こうした「住宅による貧困層」も「貧困層の為の住宅」と同等以上に、建築家の課題なのではあるまいか。
米国では「サブプライムローン」つまり「サラ金でマイホーム」が崩壊したが、日本の「一生働いて家一軒」は崩壊しない。何故かというに「一生働いて家一軒」は住む人の為のものではなく、国策だからだ。
水俣病・戊辰の金貸・鉱山の元締といった国策企業にご奉仕する為に、日本人は一生働き続ける。
住まいに「恵まれているかどうか」を、工業国のフィジカル・スタンダードで計るのと「幸せかどうか?」というのとでは、ちょっとしたズレがあるのではないだろうか。
「狭いながらも楽しい我が家」で良いではないか。関東大震災の復興住宅は12坪だったが、中廊下型の「狭いながらも楽しい我が家」だ。
鴨江には昭和20年代と見られる、7坪程の借家があるが、これとて「嬉し恥ずかし新所帯。」という感じがする。
佐田啓司・若尾文子の/涙/松竹1956では、ヒロインはおじさんの家の二階の廊下に寝起きしている。
ところでそんな時代、夜のニュースは「7時のニュース」だった。バスから降りて5分も歩けば、ちょうどニュースの時間だったのだ。
現代の日本では戸建て住宅に住もうと思うと、終電車まで働いて、2時間掛かりで帰宅するとバタンキューなので、ニュースは電車の中でパッドで見るのだ。世田谷辺の戦前の住宅地は、やはり狭いながらもではあるが、手直しをすれば今でも住める。
それがいつの間にやら住宅は「一世一代」となってしまって、30年経ったら建て直さなければならない。「一生働いて家一軒」だ。木造戸建て住宅だけでなく、RC,SRCの超高層マンションも「30年で建替え」というのがザラだ。
「一生働いて家一軒」のおかげで、産業廃棄物の2/3が建築廃材という日本は、世界でも稀な、異様な住宅事情だと言えよう。こうした「住宅による貧困層」も「貧困層の為の住宅」と同等以上に、建築家の課題なのではあるまいか。
米国では「サブプライムローン」つまり「サラ金でマイホーム」が崩壊したが、日本の「一生働いて家一軒」は崩壊しない。何故かというに「一生働いて家一軒」は住む人の為のものではなく、国策だからだ。
水俣病・戊辰の金貸・鉱山の元締といった国策企業にご奉仕する為に、日本人は一生働き続ける。
by dehoudai
| 2013-08-27 19:40
| まちづくり
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