2013年 07月 22日
濱名湖を過ぎる |
濱名湖を過ぎる。
疲れきってのぞみもねがいもしないときに光をうけて、
こんなに美しい引佐細江をとほる。
これがもし期待のうちに眺められたのなら
もっと美しかったらうに。
75年後の弁天島を偶々とほる。明治39年仮停車場が出来て以来、東海道鉄道で行き来する貴顕が争って別荘を建てた、国内屈指の保養地は、夏休みの始まりなのに、閑散としている。
冨田斎 1992抄
詩人立原道造が晩年長崎から病状悪化のため帰京した折、列車の窓より浜名湖を眺めた感想を「長崎ノート」の終わりに記している。
戦争の影が色濃くなった昭和13年12月のことである。 当時の浜名湖が地元以外の人々にどのような印象をもたれていたかは知らないが、結核を病んだ若い詩人はこの風景をとても眩しいものとして受けとめたことだろう。
観光客はというと、セントレア発の旅客機は、ちょうど浜名湖上空で右旋回すると、海外へ行っちまうのだ。立原道造の頃には
財政赤字をチャラにしようと満蒙進出。
戦争に金が掛かるので、国民は結核になって下さい。
というのが日本の構図だったのではなかろうか。癌と高血圧がオーバーカロリーの典型なら、結核はアンダーカロリーの典型だ。今では立原道造ではなく、日本経済が重度の結核なのだが、それにもかかわらず当時を懐かしむ人も居るようだ。
夏の小旅行
浜名湖の立面図
Maisaka 68/06
by dehoudai
| 2013-07-22 15:01
| はまなこ
|
Comments(0)