2013年 07月 21日
アマダイ |
5月6日には無人で浅羽海岸にのし上げた鰹船もあった。翌日舞阪港で聞くと「船頭はまだ岸に向かって泳いでいる。」と無関心な反応だった。漁協の組合員とか漁業者登録といった、お上の決めた資格ではなくて「つきあい」が漁業では重要なのだろう。「つきあい」の無い船には無関心、というのもありそうだ。
以前今切れ口の波消しブロック=タコアシで、潜水具が引っかかってもがいている人が居たそうだ。海中のことゆえ警察では手が出せず、時々口元から泡が出ているのを救おうと、漁船数十隻が集まった。ところが駐車場にあった、被害者の県外ナンバーの車のトランクから、サザエ・アワビが発見されたそうだ。密漁である。すると集まった漁船は「あ、いけねえ、網がそのままだ。」「もうこんな時間だ。」と一艘去り、二艘去り、警察の船だけが残されて、ついに密猟者は水死してしまったとのこと。
世界の漁業資源を守るためには「御上のお達し」ではどうにもならず、現場の船頭同士の「つきあい」で解決できる部分が大きいのではなかろうか。
世界中の鯨族を激減させ、今もベーリング海で略奪漁法を続ける「西部劇式二丁拳銃早撃ち文化」には「付き合い」というものも無かろうが、東アジアの漁民には「つきあい」「仁義」という生き方があるようだ。済州島の漁業者には舟山市の近海漁業者から「密漁は致しません」という念書が届いたそうだ。先月の台風の折、お上の薦めにも関わらず「つきあい」の無い済州島の漁港に入港できないまま、水死者を出してしまった反省から導かれた結論だろう。
市場にはササガニが置いてある。箱を傾けられるとバサバサとものすごい勢いでハサミを拡げて、獰猛な感じだ。
帰り際「神の住む谷」を通りかかる。
by dehoudai
| 2013-07-21 16:04
| まちづくり
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