2013年 07月 13日
君ケ代 |
誰もが歌いたくなる国歌を定め「自ら」に「由って」歌うのであれば尊いが、定めによって起立斉唱するのは独裁国家のマスゲームだろう。
国民の誰にもそんな趣味が無い国でも、軍楽隊というものがあるそうだ、近代国家たるもの、軍歌調の国歌吹奏のために必要なのだそうだ。「ラマルセイエーズ」「解放軍行進曲」に較べると「君が代」は「戦争しかしなかったじゃないか。」といわれる近代国家の国歌らしくないところが宜しい。
日本では戦国時代なるもの、16世紀に終わっているが、欧州では19世紀の近代的大量殺戮の時代まで、戦国時代が続いていたので、諸国の国歌が軍歌調になってしまうのも仕方が無い。
「君が代」も軍楽隊みたいな楽器で伴奏をせずに、雅楽の伴奏でやればさらに感じが出そうだ。
明治の初年に「近代国家たるもの、「国歌」なるものを持たざるべからず。」というわけで、国歌制定が求められた時、先ずは軍楽隊のお雇い外国人にやらせたところ、例によって軍歌調の国歌案が出来上がったのだが、元勲連のお気に召さず、古歌に楽部が曲を付けたというのも納得できる。
あとは「君」ケ「代」という古歌の解釈だろう。これも岩倉具視卿以下、明治政府の面々が18世紀絶対王政に範を取って「神国」をでっち上げた国家神道ではなく、7世紀までに成立した水田稲作という、農業技術を言祝ぐ歌だと考えれば、つじつまが合う。
灌漑による畑作小麦地帯は、2,000年程で砂漠と化してしまう。それに較べれば水田稲作地帯では、千代に八千代に稲のめぐみに与る事が出来るのだ。7,000年以上前のものと言う、長江下流域の河姆渡遺跡周辺には、今も変わらず水田が拡がっている。「天皇」というのは「米造りの翁」と考えれば良い。
問題は「中央集権」だ。水田稲作も規模が大きい程、水管理がうまく行く。条里制に見る如く、国家規模の大河川の水利用による水田稲作が、地方豪族の経済基盤を遥かに凌駕していたため、日本という中央集権の国を作り上げた。国歌公務員になれば、ハナクソをほじっていても給料が出るという「毒のシステム」が動き出す。この「毒のシステム」は動き出してしまうと、原発でも消費税でもTPPでも、何でも取り込んで脹れ続けるのだ。
ハナクソをほじって高禄を食む連中は、既得権益を守るためには、定めによって国旗に対して起立、国歌斉唱というマスゲームを、踏み絵宜しく日々国民に強要しなければ、枕を高くして眠れないのだ。
市役所納税課へ火炎瓶を投げ込んだものが居て、テレビでは「犯罪が凶悪化しています。」とは言うが「課税が凶悪化しています。」とは言わんのだ。
本田宗一郎が若い頃、税金にぶち切れて税務署に談判に出かけ、手を尽くしたがはねつけられて帰り際、芝生にホースがおいてあるのを見つけて、窓からホースの先を税務署の事務室に差し入れ、蛇口を思い切りひねって逃げて来た事があるそうだ。
起立と国歌斉唱を義務付けるよりも「君ケ代」にあぐらをかいて、ハナクソをほじって高禄を食む連中を、退治する方が先だろう。
毒のシステム
旭香美甘政和翁
by dehoudai
| 2013-07-13 14:30
| にゅーす
|
Comments(0)