2013年 05月 09日
航空自衛隊広報館 |
若者は春の陽射しの中、ランニングをしているから健康なものだ。これと対照的に、田母神元将軍は高射砲部隊の指揮官なので、薄暗い部屋の中でレーダーの画面を見ながら、ああなったらどうしよう、こうなったらどうしよう、と悪いことばかり考えているので、とうとうぷっつんしてしまったのだそうだ。
以前飲み屋で隣あわせた基地司令は
現場の人間は全員平和主義です。最初に死ぬんですから。ということで、平和と反戦を使い分けておられた。
浜松は陸軍重爆撃機の濫觴である。降水量が少なく敵が最も攻めてに来にくい、ということで決まったのだろうか?AWACSの配備も同じ理由によるものだろう。昭和20年4月末と5月末には、既に遊撃戦状態だった硫黄島への渡洋夜間爆撃がここから進発している。
同年6月18日の爆撃は軍事目標だけではなく、駅周辺の市街地への焼夷弾による無差別爆撃だった。
7月には艦砲射撃が行なわれた。その折、義父が国鉄浜松工場へ駆けつけてみると、何十トンもある蒸気機関車が、工場の屋根に逆さまに乗っかっているので「これはイカン。」と思ったそうだ。
浜松基地では広報館だけでなく、旧軍の資料を収める航空自衛隊浜松基地教育資料館も見て欲しい。ただしこちらは予約が必要だ。
by dehoudai
| 2013-05-09 13:17
| まちづくり
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