2013年 04月 27日
住む機械 |
丹波の田舎、家郷の島などから東海道の海道筋に帰って来ると、あるいは東北大震災の復興事業の有様を見るにつけ「住む機械」という言葉が思い浮かぶ。
「住宅は住むための機械である」とやったのは近代建築の父呼ばわりされるル・コルビュジェことシャルル=エドゥアール・ジャンヌレ=グリ君だが、我国には「女は産む機械である」とやって大臣をしくじった柳澤伯夫氏が居る。
この二人の言葉を組み合わせると「日本人は住む機械である」となるのだ。
1960年代まで、日本の住宅政策は「収入の3年分で自宅を購入できる」という欧米工業国の住宅政策に「追いつけ追い越せ」とやっていた。
50年後の今、日本人は「一生働いて、30年で粗大ゴミとなる家一軒」から抜け出せない。「住む機械」と化して、一生ハウスメーカーにご奉仕しなければならないのだ。
焼跡からスタートした戦後日本の住宅は「集約化・大型化・機械化」という、産業近代化の筋書き通りに進んで来たが、今や世界に誇る伝統文化を踏みつぶして「日本人は住むための機械である」と里の風景を絶滅危惧種にしているのは
「水俣病じゃ格好悪いから」と名を変えたチッソ子会社のポリバケツメーカーという、いずれも敗戦までは軍部にぴったり寄り沿っていた国策企業だ。最早日本の住宅は住む人のためではなく、国策企業のために存在するのだ。何のことは無い「お国のために命を捧げ」た頃と何も変わらない。
官軍と幕軍の両方に戦費を出し、明治政府を言いなりにして店の裏側に日本銀行を建てさせた金貸
玉鋼の原料の出る山を押さえる武器の卸元
食べる機械…チャップリンのモダンタイムズ
by dehoudai
| 2013-04-27 18:50
| まちづくり
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