2013年 04月 16日
十里の靴 |
京都の裏町を見ると、世界標準からすれば「超高密度」と言われる町家が、江戸時代からのものでなく、遥かに古いものだと良く解る。江戸の町家は「東北原住民討伐軍GHQ」のゲート前なので、小屋掛けみたいな家が多いのか、と思ったが「1,300年の都」も、密度からすれば相当なものだ。
朝9時30分、園部駅前のバス停を見ると、なるほど園部から篠山に行くバスは無く、途中の福住まで行くバスが1日5本あるだけだ。
子供部屋が欲しければ庭先の物置を改装となる。ところが大都市の郊外住宅地では50坪に足りない敷地しか無いので、
子供が結婚したら離れを建てる
母屋を明け渡して離れを隠居屋に改装
子供部屋が欲しいから建替えとなってしまう。日本の産業廃棄物の2/3が建築廃材と言うのもうなづける。30年で粗大ゴミという住宅をせっせと建て替えさせることで、日本の住宅産業は成り立っているのだ。
子供が結婚したから建替え
老人室が欲しいから建替え
「水俣病じゃ格好悪いから名前を変えよう。」というチッソの子会社のポリバケツメーカー、官軍と幕軍の両方に戦費を出し、明治政府を言いなりにして、店の裏側に日本銀行を建てさせた金貸、玉鋼の原料の出る山を押さえる武器の卸元、といった国策企業がハウスメーカーの御先祖様なので、年寄が庭先の隠居屋にキチネットを付けようと思っても「そんなことすれば「集合住宅」になりますから、マンションと同じ設備が必要です。」と建築基準法が許さない。
「1,300年の都の里山」なので「村社式内社」みたいな、格の高いお宮がいっぱいある。さぞかしメンテナンスが重荷だろう。
十里歩いてもマメの出来ない靴が欲しい。とねだってみたら、
無理。日頃わらじで歩いて足を鍛えなさい。ひえーっ、もっともでござんす。しかし怠惰な日常生活だけでなく、今では土の道というものが見当たらないのだね。アスファルトの道が足には辛い。歌で心配していたことが現実になっている。
生きている君たちが
生きて走りまわる土を
あなたに残しておいて
やれるだろうか 父さんは
わたしの子供達へ フィールド フォーク Vol. 1 From Nakatsugawa
後で知ったのだが、野中広務先生の地元が園部なのだそうだ。野中さんは同和対策立法が役目を終えた時代の人だ。部落差別がなくなった訳ではなく、後遺症に苦しむ人も多かろう、しかし日本人全般からすると、部落問題は過去の話になりつつ有るのではなかろうか。橋元徹さんの家系を取沙汰する向きもあったが、大方の人は本人の資質程には気にしていないのではなかろうか。
丹波篠山
尋ね人の時間
十里の靴
大黒舞
漫才と万歳
青春の歌
農村は要らない
ともやさん道行きの芸
by dehoudai
| 2013-04-16 16:53
| まちづくり
|
Comments(4)
疲れない靴というものをテレビで見た。ウレタンソウルとかエァーソウルとか云うものでなく。つま先に仕掛けがあり、要するにインナーが足袋状になっていて、きちんと足の指を使って歩けば疲れは激減するのだとか...
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dehoudai at 2013-04-17 20:28
2日経って、足首と膝関節が痛い。日頃歩くしかありませぬ。
それと、やっぱり舗装してある道は疲れるね。中でもコンクリート舗装は最悪、畦道を歩けば、膝や足首への負担は減るでしょうが...残ってないか。
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dehoudai at 2013-04-18 10:43
土の道など天然記念物なので、近代的な道から身体を守る近代的な中国製のスニーカーと相成るのです。