2013年 03月 31日
丹波篠山 |
このところ明治時代の紀行文にはまっている。当時の旅なら西京を出て歩けば二日だが、早立ちをして保津川の難所を山陰本線で誤魔化せば、亀岡から峠を越すのに37kmというから、糖尿病には良い薬となりそうな里山であるようだ。
明治23年5月、35歳の饗庭篁村先生は、23歳の幸田露伴君の向うを張って頑張りすぎた為、木曾山中の峠の泥道で足を挫いてしまうが、歳相応にのんびり行けば夕暮れまでには着けるだろう。
「農業が残れば農家は残らなくても良い。」というTPPにおののく里山まで出かけて「世界中から「お取り寄せ」の山海の珍味」を食う趣味は無い。近所のスーパーで「半額の品」を見れば、地域の食生活も分かろう。
丹波・丹後
by dehoudai
| 2013-03-31 16:54
| まちづくり
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