2013年 01月 31日
猫の居ない街 |
都心で猫を見掛けるのは飲屋街だ。身ごなしも敏捷、「男など信用してなるものか。」というのが飲み屋のオネーサンなどを慰めているのだろう。
50年前には近所に犬も沢山居た。小学生の頃、「いじめっ子」の凶暴な犬がいて、悩まされていたものだ。ところがある日路地裏を通りかかると、奥山線元城駅沿いの道端で、何とその凶暴犬が足を揃えて用便中のところに行き会わせた。ぎょっとしてからよく見ると、困り果てた顔をしている。用便が終わるまではクソガキを見掛けても攻撃が出来ない様子なのだ。千載一遇とばかり道端に落ちていた石を集めて、思い切り犬に投げてやったのだ。用便中の格好のまま逃げ惑う犬の姿を見て、恨みを晴らしたのは爽快だった。あの頃は街中がビオトープだった様な気がする。
今では公園に来る人々も犬を連れていることがあるのだが、大方は猫サイズの小型犬だ。大きな犬を飼うスペースもエサ代も無いのが最近の日本なのだろう。
日本の都市公園は「自然」というよりも「庭園」に近いので、ビオトープにはなりにくいのだろう。池の葦も刈り取られてしまい、ここで産まれた鴨もどこぞへ避難している。やたらに増えているのはタイワンリスで、後は人間以外にはカラスとネズミしか暮らせないのが日本式の都心だ。
先日見た映画「メトロポリス」に描き出された、恐怖の未来都市デストピアを思い浮かべてしまう。ビオトープの薮は景観上好ましくないから、と管理されてしまうのと同じことが、犬猫にとどまらず、人間に及ぶ日が近づいているのではなかろうか。
by dehoudai
| 2013-01-31 17:04
| まちづくり
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