2013年 01月 30日
uzo先生とuzoさん |
建築学会というところは用務員のおじさんが図書室で昼飯を食うのか、不思議なところだ。用務員室が工事かなにかで使えないのか?という印象を持った。
帰りの電車の中でuzoさんが「uzo先生が居たね。」というので、初めて用務員のおじさんが実はuzo先生だったことを知らされた。
uzo先生は昭和の「住まい方」の研究者であって、戦後の住宅公団などによる公営集合住宅の形を作るのに力のあった人だ。記憶にあるのは「有名住宅10年後」みたいな記事。1960-70年代住宅ブームに乗っかって、「デザイン住宅」を売りまくったデザイナーの住宅を10年後に訊ね、大方がめちゃくちゃな使われ方をしていること、つまり原因は住む人の住まい方を無視した、めちゃくちゃなデザインであったことを、明らかにしたものだ。
その後住宅公団は、民間マンション会社の地上げ屋と化してしまい、住まい方を無視した、めちゃくちゃなデザインの高級マンションの時代が来てしまった。「マンション」という言葉が良く実体を表している。
同じ波は戸建て住宅にも及び、ハウスメーカーによる住む人の住まい方を無視した、めちゃくちゃなデザインの住宅が拡がりつつある。
水俣病の原因を作り出したポリバケツ屋といった国策企業が、「この国では一生働いて家一軒」という住宅を造り続けるのだが、その存在証明たる「我が家」も、30年経てば粗大ゴミなので、子供が家を建て様と思えば取り壊されてしまう。
官軍と幕軍の両方に戦費を出して
明治政府を言いなりにした金貸
日本刀の元締
子供が家を建ててくれれば良いのだが、大方はすでに別の場所に土地を買って「この国では一生働いて家一軒」とやっているので、1960-70年代の郊外分譲地は、まちなみがそっくり姨捨山と化している。
東北大震災で被災者が一斉に抗議したのは、集団移転事業の戸当り宅地面積が330㎡という補助条件だった。仙台市内の渋滞で車で通勤できないところでは、宅地の価格が5,000万を越えてしまう、逆に成人家族数の駐車場が無いと、生計が成り立たない郊外・中山間では330㎡では敷地を駐車場に取られてしまい、住宅は30年経てば建替えなければならない。かっては同じ建物を
母屋として30年使うという使い方で成り立って来た農家住宅も、30年経てば粗大ゴミというハウスメーカーの餌食にならざるを得ない。住宅が住む人のために建てられず、国策産業のエサという国も珍しい。
隠居屋にして使い
孫の勉強部屋に転用して30年使う
倉庫にして30年使う、
そうこうするうちにも民主国家に必要な歯止めの無い、国家予算は財源を無視して暴走を続け、安倍君に至っては「戦争やって一発大逆転」コースに足を踏み入れた。気分は昭和5年だ。
uzo先生は西山夘三先生、uzoさんは内田雄造さんであり「うぞうせんせい」「ゆーぞーさん」と読まなければならない。
by dehoudai
| 2013-01-30 09:39
| まちづくり
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