2013年 01月 10日
万国運動会の都 |
東都ではボケ老人の傀儡師であった猪瀬君が町奉行をやるそうだ。相も変わらず万国運動会を引こうと、金をばらまく支度をしている。
平成の東都には「建物」は建っているものの「街並」は無く、庭と言えば大名屋敷の残骸くらいで、二十五里四方に、まあ貧乏人の裏長屋が連なっている。ジャカルタなぞと同じ典型的な植民都市の景観だ。
家康が三河国から来た進駐軍なら、明治の新政府も西国から来た進駐軍なので、「東都」とは名ばかりで都を造る気はなく、植民都市そのものだ。
マドリッドが同じく万国運動会を引こうとしており、競技場の設計が発表された。
建物はともかく、廻りに拡がる「都」の意味するところが、大分違う様だ。彼の地にも貧乏人は居ろうが、我国と違って貧乏人の裏長屋が連なることは無い。
三田村鳶魚センセイが「江戸の春秋」で七夕の景を「東都歳時記」から借りている。
昭和の始め、既に鳶魚センセイは
平成の東都には「建物」は建っているものの「街並」は無く、庭と言えば大名屋敷の残骸くらいで、二十五里四方に、まあ貧乏人の裏長屋が連なっている。ジャカルタなぞと同じ典型的な植民都市の景観だ。
家康が三河国から来た進駐軍なら、明治の新政府も西国から来た進駐軍なので、「東都」とは名ばかりで都を造る気はなく、植民都市そのものだ。
マドリッドが同じく万国運動会を引こうとしており、競技場の設計が発表された。
建物はともかく、廻りに拡がる「都」の意味するところが、大分違う様だ。彼の地にも貧乏人は居ろうが、我国と違って貧乏人の裏長屋が連なることは無い。
三田村鳶魚センセイが「江戸の春秋」で七夕の景を「東都歳時記」から借りている。
「東都歳時記」の挿絵に、御城に向かって、常葉橋・一石橋・呉服橋を控えた一帯の市街地、そこの町家の屋上に、高々と葉付の竹を建て連ねたところが書いてある。常葉橋御門の前の町家はどうなったかと言うと、金の無い幕軍・官軍の両方に金を貸して、新政府を金の面から言いなりにした三井高利が、店の裏に「日本銀行」を建てさせ、それも今では大厦高楼に埋もれている。
今日でも思い出すのは、東京の静かであったこと、全く静かなものでした。狭い裏通りの往来では、七夕竹の友ずれの音が聞き取れました。聞こうとせずとも。聞こえました。それ程静かであったから、子供心にも、七夕竹から秋の悲しみが請け取れたのでしょう。
昭和の始め、既に鳶魚センセイは
二本差しが怖ければ田楽は食えぬ。と江戸っ子の口を借りて憤慨しておりまするが、現今の東京の様を見たら、何と仰せ有ることか、聞いてみたいものであります。
武士と虱に困る様では江戸には住まえない。
by dehoudai
| 2013-01-10 11:00
| まちづくり
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