2012年 12月 20日
浜松城公園長期的整備構想にかかる自由意見 |
次回は
12月21日19:00雄踏文化センター
12月25日19:00なゆた浜北
とのこと
市役所職員が「お出入り猿」に「事務局案」を作らせて、議会でシャンシャンと進めてしまうのでは、いつまでたっても
御奉行様の話は大変結構なことでございますから、邪魔になんねえ所でやってくんねえ。から抜け出せません。「事務局案」を止めて「市民案」を議会が取りまとめる、ということでは如何でしょう。「お出入り猿」に莫大なコンサルタントフィーを支払うなら、地元建築家にくれ。というわけで気分は自由民権運動。
「事務局案」の原型は明治2年の太政官制の折、大蔵卿-大臣は松平春嶽にやらせておき、大隈は大輔-次官、伊藤が小輔-次官補に任じた辺りが始まりでしょう。統帥権(議会スルーで事務局案)初め、明治の官制は大方長州藩の藩制に従っているそうで、「下が上を操る」も長州藩の仕来りである様です。
「下克上」というのは、明智光秀の様に「下が上を殺してしまう」というのはシロートのやる事で、「下が上を操る」というのが本来形だそうです。
長州藩の第13代藩主毛利敬親侯は家臣の意見に対して異議を唱えることが無く、常に「うん、そうせい」と返答していたため「そうせい侯」と呼ばれたそうです。
後にある人が「ご自分の考えを、述べようとはされなかったのですか?」と聞くと、「そうすれば殺されていました。」というのが侯の返事だったそうです。
孝明天皇崩御は毒殺ではなく、出血性痘瘡だったというのが定説の様ですが、これをもって下克上ではなかった、とするのは少しナイーブなのではないでしょうか。
人為的感染という事もありえます。下克上ではないと証明するには、感染経路が開明されなければなりません。そしてそうした下克上の技術が、連綿と受け継がれている事もあり得るのです。潜伏期間が7~16日というのは、証拠隠滅にも適しており、細菌兵器に適した菌でしょう。
これに較べれば近年のテレビタレントみたいな議員を「事務局案」の「下請け・弾除け・目くらまし」に使って、議会でシャンシャンとやらせるのは雑作も無い事でしょう。
福島県双葉町ではついに議会軽視の殿様を首」にしてしまった様ですが、こちらは「事務局の言いなりで下克上」やら何やら、新聞記事だけ見ても真相は不明です。
赤バス
http://www.tcp-ip.or.jp/~ask/urbanism/121219/121219.html
by dehoudai
| 2012-12-20 05:44
| まちづくり
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