2012年 11月 12日
日本人の想像力2 |
「日本人の想像力」ではなく「財務当局の想像力」は、何せ大学入試と国家公務員試験で、脳力を使い切ってしまった人々なので、教科書に書いてあること以外は「想定外」となってしまう。
路線価にしても「始めに結論ありき」で、予算に合わせて御用学者などを動員して根拠を作るのだから、誰も信じるものはいない。太平洋戦争末期の経済計画と全く同じだ。
2050年の人口が8,000万人、2100年の人口が3,500万人となって明治の御一新の頃に戻る、という推計値もあるのだから、土地神話には最早何の根拠も無いだろう。
土地神話にしがみついて「全国を超高層裏長屋にしてしまえば、公共施設は最低限で済み、不動産税等の「年貢」が確保できる。」と信ずるものは、民間には最早見当たらないだろう。斯くして新幹線浜松駅徒歩3分も東京の場末という態をなす。
化政期の江戸の人口が100万人で、世界最大の都市あったのに関わらず、異人の眼には「世界の大都市の中で、最も緑の多い、驚嘆すべき市街地」とされたのは「市中山居」という伝統的な住まいの理想があったからだ。
こうした「さび」は特権階級である一部茶人には許されても、1970年以降の「住宅ブーム」では、最早江戸時代と違い一般大衆には許されないものとなってしまった。
お上が戦後進めて来た住宅政策は、一方では全国を裏長屋にしてしまえ、という年貢の「反別収量」主義によるものであり、他方では「一世一代で家を建て替えさせる」ことで、建材を始めとする、裾野の広い製造業に奉仕するものではあっても、住む人の幸せを目的とするものではなかったのではあるまいか?
かくて「世界の大都市の中で、最も緑の多い、驚嘆すべき市街地」は最早存在せず、産業廃棄物の2/3が建築廃材と言う、植民地以外では世界でも類例を見ない、バラック市街地が拡がってしまった。国家による伝統文化破壊の一例であろう。
今般の東北大震災でも「集団移転」とは「住居」の移転であって「屋敷」の移転ではない、という100坪条項に怨嗟の声が高い。一般大衆には「裏長屋」を構えることは許されても「屋敷」を構えることは許されない。100坪条項が伝統的な「屋敷あっての住まい」という日本文化を、植民地の「バラック市街地」に変えてしまう文化破壊であることなど、「財務当局の想像力」の「想定外」なのだろう。
by dehoudai
| 2012-11-12 18:30
| まちづくり
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