2012年 10月 25日
木曾道中記第十一回 |
木曾道中記
饗庭篁村
東京朝日新聞連載・明治23年/明治文学全集・筑摩書房・昭和49年
第十一回
見上る山には松にかゝりて藤の花盛りなり見下せば岩をつゝみて山吹咲
こぼれたり擲濁石楠花其間に色を交へ木曾川は雪と散り玉と砕け木曾山
は雲を吐き畑を起す松唐松杉檜森々として雨ならずとも樹下は濕ひたり
此間に在りて始めて人間の氣息緩かなるべきを無法飛せの馬車なれば
(是よりして木曾の山中にも無法飛ぶのは馬車ではないか抔定めて洒落
始めしならん)下手な言文一致の詞のやうにアツヱツ發矢など驚きて思
はず叫ぶばかり山も川も只飛び過ぎ熱川より奈良井の間の諏訪峠といふ
所は車の片輪を綱にて結びて廻らぬやうにし片輪のみにて落し下すに石
に軋りて火花を出す凄じさ替へて云んやうもなし叉本山と熱川の間なり
し崕道崩て往来なり難きにより木曾川の河原へ下り川を二度渡りかへし
て道へ出る所などは曾釋もなく川の中へ馬車をやり入れたるが水は馬の
太腹にも及び車の豪へ付く程なれば叩き立られたる痩馬向ふの岸に着き
かねて喘ぐに流石の我武者馬丁も術なくて己川中へ下り立ち四人を負ひ
て川原へ下し壳馬車にして辛うじて引上げしが道を作り居たる土地の者
崖の上より見下して乘り入れたる馬丁も強し下りぬ客人も太膽やと賞る
か譏るか馨を發して額に手をば加へたり此の時少し篁村息を吐き河原に
立やすらひて四方を眺め崩たる坂道を見上るに夫婦連の旅人通りかゝり
川へ下りんも危うし崖を越んも安からずと彳み居しが頓て男は崩たる處
ろへ足を踏み出し足溜りをこしらへてはまた踏み固めニ間餘のところ道
をつけ偖立戻り蝙蝠傘の柄の先を女に確と掴ませ危うくも渡り越して互
にホト息して無事を悦び合ふ愛情いと尊くも嬉しけれ早々乘れ雨の来ら
んにと急かれて心ならねど叉馬車に乘り先の嶮岨をいろはなりと云しに
違はずだんゝ危うくせず京あたりの難所も首尾よく飛せ越えて奈良井
へ着しは晝前なり是より直に鳥居峠なれば馬車を下りしに馬丁は意氣揚
々としてドウですお客様一番鳥居峠を追立て見ませうかと云ふ我手を振
りて是を願ひ下げ此にて晝餉を認めしが雨はいよゝ本降となりしゆゑ
豫て梅花道人奉行となりて新調せしゴム引の合羽を取り出し支度だけ凛
々敷此所を出れば胸を突くばかり直に峠にて馬車の上に縮みたる足なれ
ばチト息ははづみたり此峠に古しへは桟橋ありしとか思ふに今にして此
嶮岨なれば桟橋は強ち一ケ所に限らず所々に在しならん芭蕉の「かけは
しや命をからむ蔦かづら」と詠みしも今の桟橋の所にては有まじ四五丁
上りかけて谷に寄たる方に土地の者の行く近道あり折々此の近道あれど
草深く道の跡も定ならで危ければ是を通道と名け通と云れたがる者なら
では通らず梅花道人少し後れたるテレ隠しに忽ち此道に駆け上る危ない
ぞと馨を掛るうち姿は見えずナニ幾許ほど近いものかハアハア云って此
上あたりに休み居るならんト三人嘲みながら上るに道人は居ず五六丁の
間は屈曲てもよく先が見えるに後影もなし若しやは近きを貪りて谷へ轉
げ落ちしにあらずや此谷に落たるを救ひ上げんには三人の帯を繋ぐとも
届くまじ如何はせんと谷底を覗き見ながら雨を凌ぎて上る
第十二回
雲雀より上にやすらふ峠かなと芭蕉が詠みしは此の鳥居峠なり雨は合羽
の裾よりまくり上げに降る此曲降を防がんやうなく只濡なるに脊はまた
汗なり一里に足らぬ峠なれど急上りの急下りなれば大辟易の形となりぬ
頓て峠へ上りつきて餅屋にて云々の形の者は通らずやと聞けば先にお下
りになりましたと云ふ偖は梅花道人も谷へは落ちざりしかと安心し下り
とならば嶮しとて一跳にせんものと雨を凌ぎつと勢ひをつけて下る下り
てやゝ麓近くなりしとき篁村小石に躓づきはづみを打て三四間けし飛び
しが鞍馬育ちの御曹子を只散髪にした丈の拙者なればドツコイと傘を突
き左りの足にて踏み止めぬアハヤと叫びし太華露伴の雨氏イョ感心と褒
めたるが實は此のドツコイ甚だ宜しからず踏み止めし左りの足ギクリと
せしが是より少々痛みを受え雨に傘は用ひずして左りの杖となしたるぞ
無念なる下りきりては只の田甫道面白くもなくトボゝとしてやがて藪
原に着く此はヤゴ原と讀み元は八五原と書くお六櫛と世に名高き櫛の名
所にて八五は卽はち九四に同じといふ附會説ありまだ午後の三時に及ば
ず今三里行けば木曾中第一の繁昌地福嶋なり其所まで飛ばせよといふ議
も出しが拙者左りの足が危しければイヤサ繁花の所より此の山間の宿に
雨を聽くがあはれも深いものだと弱身を隠して云ふに左らばと此宿に泊
る梅花道人茶店に待てありしが一つになり見ぬ事とて早足の自慢大げさ
なり脇に羽の生えた跡もなけれど偖宿に入りて見れば家名は忘れしが家
居廣く清らかにて隣りに大きな櫛店もあり宿中第一の大家とは知られぬ
湯に入り名物の櫛を買ふうち頓て名代の蕎麦を持ち出す信濃路一体に輪
嶋塗沈金彫の膳椀多しこれ能登よりの行商ありて賣り行くならん大きな
る黒椀に蕎麦を山と盛り汁を同じく大椀に添へ山葵大根葱海苔等薬味も
調ひたり蕎麦は定めて太く黒きものならん汁の醎さもどれほどぞと侮ど
りたるこそ耻かしけれ篁村一廉の蕎麦通なれど未だ箸には掛けざる妙味
切方も細く手際よく汁加減甚はだ佳し思ひ寄らぬ珍味ぞといふうち膳の
上の椀ヘヒラリと蕎麦一山飛び来りぬ心得たりと箸を振ひやゝ二杯目を
喰ひ盡さんとする此時遅く彼時早く叉もヒラリと飛び込みたり是はと驚
く後より左りに持つ椀へ汁を波々注がれたりシヤ物々しと割箸のソゲを
取り膳の上にて付き揃へ瞬く間に三椀を退治たりと思ふ油断に四椀目は
早くも投げ込まれぬ此の狼狽我のみならず飲食道に豪傑の稱ある梅花道
人始め露伴子太華山人も呆れ果て箸を膳に置いて一息しよくゝ見れば
美くしき妻女清しき眼を見はり椀だに明かば投げ込んと盛り替の蕎麦を
手元へ引つけて呼吸を量り若き女其後にありて盛替々々績けたり今一人
は汁注を右に持ち中腰にて我々の後より油断を見て汁を注がんと構へた
り此備へ美事喰崩して見せんものと云合さねど同じ心に一同また箸を擧
げしが拙者は五椀目にて降参を呼はり投げ込みと欺し注を恐れて雨椀に
手早く蓋をして其上を確と押へ漸く蕎麦責を脱れしが此時露伴子は七椀
と退治和田の牡丹餅に梅花道人が僻してより久しく誰人の手にも落ちざ
りし豪傑號を得たりしは目ざましかりける振舞なり
第十三回
此の薮原は木曾の深山なれば上の山には鷹多く昔しは巣鷹を取る為に役
所をさへ置かれけるとか和田鳥居と過来つる目にはさしも深山の中なり
とは思はれず左りながら此宿を過れば木曾川に沿ふての崖道にて景色い
ふばかりなくよし巴御前山吹御前の墓あり巴は越中にて終りしとも和田
合戦の後木曾へ引龍りしとも傅へて没所さだかならず思ふに此は位牌所
なるべし宮の腰にハ幡宮あり義仲此の廣前にて元服せしといふ宮の腰と
は木曾が舘の跡なればなりと土人今にして木曾様義仲様と敬ふ木曾が城
跡といふは高き山ならねど三方山にて後に駒ケ嶽聳へ前に木曾川あり此
に来る道東よりするも西よりするも嶮岨の固め諸所にあれば義仲粟津の
戦場を脱れ此に籠て時を窺はば鎌倉の治世覺束なかるべし抔語合ふ思ば
治永の昔し頼朝には北條時政といふ大山師が付き義經には奥州の秀衡と
いふ大旦那あり義仲には中三権頭兼遠といふわづかの後楯のみなりしに
心逞ましき者なればこそ京都へ度々忍び上って平家の動静を窺ひ今井樋
口と心を合せ高倉宮の令旨を得るより雲の如く起り波の如く湧き越後に
出で越前に廻り忽ち京都へ伐め上り時めく平家を追下し朝日将軍の武名
を輝かしき凡人にてはあらざりけり元暦元年の春の雪粟津の原に消えた
れど首は六條の河原にさらされ尸は原に埋めたれど名は末代に残りけり
杜鵑一馨しばしは空に物もなし
年はわづかに三十一此の英傑を討取て「信濃なる木曾の御料に汁かけて
只一口に九郎義經」と云れたる義經もたゞ此年を去る四五年にて同じく
三十一にて死す二人は骨折損にして皆な頼朝にシテやられぬ氣の毒至極
の事共なり我が贔負役者を揉み消したる頼朝は憎けれどまた考へれば義
仲には關白根殿の姫君のほか巴山吹などの艶福あり義經には京の君靜御
前どいふ意氣筋あり頼朝めは政子といふ嫉深のいけない女に恐れ入り偶
々浮氣らしき事あれば三鱗を泡立て怖い限に睨まれ小さくなツて手を引
きぬ嗚呼艶福なる者は必らず斯の如く不運なり女達なければ幸福なり讀
者諸君それいづれをか執らんと思ひ玉ふナニ女運を右に幸福を左りに握
りたい不埓至極の了簡お止めなさいゝ我輩は謹んで艶福を天にかへし
たてまつり少し欲氣に聞ゆれど幸福一方と決定仕りぬ友人中には夫は惜
いお前が女運を捨るとなると此の情世界が甚だ寂莫最少し艶氣を出せか
しと勤告せらるゝ向もあれどイヤ其の仰せは僻事なり抑もと堅く出て左
様な否らしき儀一切謝絶諸事頼朝流の事と取極め政子崇拝主義となりぬ
皆様も是非饗庭黨となり玉へ世の中まことに穏かにて至極野氣で第一は
壽命の薬女は命を削るの鉋かんなとをんなと音近きもこれまた自然の道
理なり緋威の鎧とめかし込み艶福がるといづれ仕舞は深田へ馬を乘り入
れて二進も三進もいかなくなるか自腹の痛事あるべきなりオゝ怖やと悟
る人は誠に好い子といふべきなり抔と横道の冗は措き此を越せば山吹が
淵巴が淵など云ふ所あり山吹まことに盛りにて岩にさへられて水が巴に
めぐるも妙なり
昔し誰が影やうつせし苔清水
第十四回
福嶋驛はもと関所ありて山村甚兵衛これを固め鍼砲と女を厳しく改めし
といふ昔から女と鐵砲は兎角わざをする物と見えたり成程此宿は繁花に
て家数も多く作りて立派なり晝前なるに料理屋に三味線の音ありさだや
て木曾の歌の古雅なるならんと立寄れば意氣がりて爪弾で春雨いらぬ事
ながら何やら憎く思はれぬ道中筋の繁花な所といふと得て生意氣な風が
吹て可厭な臭がしたがる者なり賢くも昨夜の宿を藪原にとりし事よと濁
り思ふ此には通運會社あれば持重りの手荷物を東京へ送らんと荷拵へし
て頼めば目方を量るも賃銀を定むるも掛りの男居ずして知れがたし先彿
ひにして下されよとの事にそれにて頼みしが此等より東京へ出すには一
且松本まで持ちかへるゆゑ日数十四五日は掛るといふ果して東京へは二
十日目に屈きたり雨は上りたれど昨日よりの降に道は悪し宿の中ほどに
橋ありこれを渡り終らんとする末の一足後を向いて冗を云ながら左を踏
み出すと橋板より土は一寸ばかり低くガクリと落せしが鳥居嶺のドツコ
イ此に打て出で俄に足痛みて歩きがたし左れども来るべき車はなし橋際
に立往生もならず傘と疫我慢を杖にして顔を皺めて歩く此時の体相諸君
にお目にかけずに仕合せサ惡い時にはいけない事が績くもので福嶋から
二里ばかりの道は木曾とは思はれぬ只の田甫の泥濘にて下駄の齒は泥に
吸ひつかれて運ぶに重く傘の先は深くはまりて抜くに力が入る程ゆゑ痛
みはいよゝ強く人々に後れて泣たい苦しみ梅花道人さすがに見捨がた
くや立戻りて勢ひをつけるに外見を捨てその蝙蝠傘を借り遂に兩杖とな
りたるぞ憐なる道は捗取ねど時が經てば腹は滅りてまた苦を重ぬるを道
人勇みをつけて一軒の茶店ある所まで連れ行き此にて待たれよ我は先へ
行きて車を見つけ迎ひによこすべければと頼もしく云るれどたつきも知
らぬ山中に一人残されては車を待つ間の心細さいかならんナニ是式と力
足を踏めば倒るゝばかりの痛み歩き自慢の中下駄も此時ばかりは弱り入
りそろりゝとまた出かけしが頓て山川の景色几ならぬ所に出たり問は
ねど知るゝ不曾の桟橋これ此行第一の處ハテ絶景やと勇みつきて進めば
川に臨みて作りかけたる茶屋の店に腰打掛け太華露伴大得意に洒を飲み
居たり人の苦みも知らず顔にと怨めば先へ来たは御座所をしつらへる為
めに先づ一杯ナント此景色はと云はれて何も打忘れ山を見ては褒めて一
杯川を見ては褒めて一杯岩が妙だ一杯水が不思議だ一杯と景色を下物に
飲むほどに空腹ではあり大酔となり是から一里や二里何の譯はない足が
痛ければ轉げても行く此さへ此の絶景だものかねて音に聞き檜で惚れて
居る寐覺の臨川寺はどんなで有らう足が痛んで行倒になるとも此の勝地
に葬られゝば本望だ出かけやうゝと酒が云する付元氣上松から車をよ
こすから爰に待なと云ふを聞かず亭主大きに世話であつたなと大勇みで
飛び出しは出たものゝ痛みは先より尚強し一丁行きては立止り景色を褒
めてはまた休む酔は苦しみに消されて早く醒め今は跡の茶屋へも戻れず
先へも行かれず氣の毒な事を見てお痛足やと云ふ事は此時よりや姶りけ
ん
第十五回
名下虚士無しなど云へど名のみは常にならぬ世なり木曾道中第一の名所
は寐覺の里の臨川寺と現にも覺え名所図絵の絵にて其概略を知たかぶり
岩があって渓があって蕎麦が名物是非一日遊ばうぞやと痛む足を引ずり
て上松も過ぎしが頓て右手の草原の細道に寐覺の床浦嶋の舊跡と記せし
杭あるを見付けガサゴソと草の細道を分け行けば俗々たる寺あり門を入
れば此卽ち臨川寺にて成ほど木曾川に臨みて居れど眺望佳絶といふべき
にあらず此の前後の勝景に比べては寧ろ俗境といふべし小僧人の入り来
るを見るより忽ち出で来りて浦嶋太郎の腰を掛けた岩があれで向ふのが
猿が踊を跳ツた古跡だなどゝ茶かした云立に一人前五厘と掴み込む田舎
の道者魂消た顔にて財布を探るも氣の毒なり一行は座ながらにして名所
を知るの大通なる上露伴子といふ先達あり云立を並べんとする小僧の口
を塞ぎ座敷を借らんと云入しに座敷は迷惑なりと云ふ心得たりと太華大
蔵の卿五十錢札一枚を出すイザ是へと急に座敷に請じて茶菓を饗す兎も
角も此は書人の名所なり俗境なりとて偖止むべきかはI杯酌みて浦嶋殿
の近付とならんと上の旅人宿へいそぎ酒肴を持来れと命じ夫より寺内を
漫歩しまた川を眺むるに流を餘り下に見るより川巾狭く棧橋より太く
劣るやうに見ゆるにてマンザラ捨た所にはあらず雨雲ちぎれて飛ぶが如
く對面の山倐忽有無また面白き景色となりしばらくは足の痛も忘れ石を
投げて川の向ふへ屈くものを好子といふ競技をはじめしが酒は一時間過
てもまだ来ず茶に酔ふてかフラゝと露伴子は睡り梅花道人は欠伸する
に我は見兼ね太華山人と共に旅人宿へ催促と出かけしに直に門前にて只
今持ち參るの所なりといふ寺も早や興盡きて寒を覺ゆるに寧そ宿にて飲
むまいかと割籠の支度を座敷へ取寄せ寺に残りし二人を呼び飲みかけた
るまではよかりしが篁村酔の廻りに分からぬ事を云出したり平生よく分
の分かる感心の拙者も酒といふ狂藥に折々不惑心な事を仕出かすアゝ酒
は厳禁すべきものなり聞く英国のチヤーチル郷は國中の酒屋を皆な癈し
酔漢共を掃落して仕舞はんと禁酒論を國會へ持ち出したりとかチヤーチ
ル氏だから元より下戸だらう杯と茶かさずに誰人も酒は禁じたきものな
り偖酒を飲みて湯に入り湯より上りて酒を飲み大グズとなりて此座可笑
からず泊りを先の宿にして飲み直すべしといふ途方もなき事を云出し浴
衣のまゝ夜中に飛出したり處は木曾の山中なり雨あがりに道は悪し行先
は何やら勝手知れず其うへ飛出してから氣が付けば足の痛みありそして
車は更なり家もなしドウも木曾山中の夜景は妙だとは酒の云せる譫語に
て矢鱈と豪傑がる拙者は我慢の跡押あれど連累となりし梅花道人こそ氣
の毒なれコレサ危ないイゝサ承知だよと受答へに酔も定めて醒めしなら
ん勢ひにまかせて一里ほどを歩き漸く家の五六軒ある處に至り片端から
叩き辛じて車を一輛仕立させしが二人は下駄を踏みかへし臑まで泥の尻
からげ浴衣がけで荷物はないグズ酔の旅人なれば驚き呆れて車の梶棒を
下に置き顔打守るばかりにて乘れとは更に云ざりけり
第十六回ゟ第二十回迄
第十一回ゟ第十五回迄
第六回ゟ第十回迄
第一回ゟ第五回迄
by dehoudai
| 2012-10-25 12:41
| ほん
|
Comments(0)