2012年 10月 22日
京見塚 |
磐田原も台地の縁辺に古墳が並んでいる。その真ん中に遠江国府が置かれたのが7世紀頃ということで、水田稲作も今とは違った様子だったろう。
1,500年を経て京の方を見やれば送電線だらけだが、製造業の世紀が終わり、これからどうなるのだろう。ふれあい会館まつりということで、ブラジル人のお嬢さんが着物を着せてもらって喜んでいた。製造業の終わりを「国際化」が彩っている。
近くの共同墓地には「古墳」と呼ぶほどは古くなさそうな「墳墓」がある。昔の偉い人のお墓みたいな作りだ。無縁墓の墓石みたいなものが後ろに並んでいるところを見ると、偉い人も権力の座から降りると、無縁墓となってしまうのだろうか。そういえば蜆塚町成瀬谷宗源院の、成瀬家のお墓も苔むしている。
by dehoudai
| 2012-10-22 16:44
| まちづくり
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