2012年 10月 02日
金閣炎上 |
金閣炎上
水上勉
新潮社 昭和54年
水上勉は金閣放火犯林養賢とは顔見知りであり、臨済宗の寺で小僧という、似通った10代を送っており、事件の数年前には話を交わしている。そんなわけでこれは書き残しておきたかったのだろう。
事件後20年にわたって、取調べ調書、公判記録など資料に目を通し、関係者にも面談を続けた結果、著者の得たものを取りまとめたのが本書だ。
著者は自身の体験から、戦後の混乱期、小僧どもを飢餓線上に置いて、料亭の出前で晩酌をする師匠を作り出した宗門への、反発といったものを描き出している、しかし林養賢がなぜ金閣を焼いたか、はっきりとは解らない。
足利義満の建てた国宝なのだが、非現住建造物への放火、ということで判決は懲役7年だった。しかし満期出所寸前に林養賢は結核で病死する。その間に、「犯人は狂人だ」という、大半の国民にとって納得の行く理由付けのために、あらゆる手段が講じられていたのではなかろうか。
林養賢の「仏を殺し祖を殺すというのがどうしても解決出来ませんでした。」という言葉から、著者は世間が納得する様に、「犯人は狂人」などではなく、確かな精神状態で、仏道を求めていたとする。
素人考えでは禅宗の教典には「金張りの寺を造れば成仏できる。」とはどこにも書いてないと思うのだが。
そして水上は「誰ひとり自然な顔をしていない。賢者は愚を装い、愚者は賢を装い、賢者が愚者の足をくわえ、愚者が賢者の足をくわえて、輪になって生きる。」社会の方が病んでいると結論する。
ふと思い出すのは加藤和彦のこと。20歳の頃に作った「不思議な日」を聞くと、林養賢を「狂人」だとするならば、加藤和彦も充分に「狂人」の資格があると思う。そして片方は国宝放火犯として収監中の26歳に結核で病死、片方はヒットメーカーとして活躍の後、60歳で自殺なのだが、人生としてはそれ程変わらないのではないだろうかとも思う。
数日前BBCに「ラスヴェガスには鏡が無い」という記事が出ていて、これも成る程、と思わされた。
五番町夕霧楼
水上勉
別冊文藝春秋 昭和37年9月
角川文庫 昭和41年2月
130403
著者は「金閣炎上」はルポルタージュという枠の中で書いているが、その枠を取りのけて、創作としたのが本書だ。遊郭の女を主人公にしながら、背景にあるのは著者の血液に流れる「丹後」だ。
丹波・丹後
水上勉
新潮社 昭和54年
水上勉は金閣放火犯林養賢とは顔見知りであり、臨済宗の寺で小僧という、似通った10代を送っており、事件の数年前には話を交わしている。そんなわけでこれは書き残しておきたかったのだろう。
事件後20年にわたって、取調べ調書、公判記録など資料に目を通し、関係者にも面談を続けた結果、著者の得たものを取りまとめたのが本書だ。
著者は自身の体験から、戦後の混乱期、小僧どもを飢餓線上に置いて、料亭の出前で晩酌をする師匠を作り出した宗門への、反発といったものを描き出している、しかし林養賢がなぜ金閣を焼いたか、はっきりとは解らない。
足利義満の建てた国宝なのだが、非現住建造物への放火、ということで判決は懲役7年だった。しかし満期出所寸前に林養賢は結核で病死する。その間に、「犯人は狂人だ」という、大半の国民にとって納得の行く理由付けのために、あらゆる手段が講じられていたのではなかろうか。
林養賢の「仏を殺し祖を殺すというのがどうしても解決出来ませんでした。」という言葉から、著者は世間が納得する様に、「犯人は狂人」などではなく、確かな精神状態で、仏道を求めていたとする。
素人考えでは禅宗の教典には「金張りの寺を造れば成仏できる。」とはどこにも書いてないと思うのだが。
そして水上は「誰ひとり自然な顔をしていない。賢者は愚を装い、愚者は賢を装い、賢者が愚者の足をくわえ、愚者が賢者の足をくわえて、輪になって生きる。」社会の方が病んでいると結論する。
ふと思い出すのは加藤和彦のこと。20歳の頃に作った「不思議な日」を聞くと、林養賢を「狂人」だとするならば、加藤和彦も充分に「狂人」の資格があると思う。そして片方は国宝放火犯として収監中の26歳に結核で病死、片方はヒットメーカーとして活躍の後、60歳で自殺なのだが、人生としてはそれ程変わらないのではないだろうかとも思う。
数日前BBCに「ラスヴェガスには鏡が無い」という記事が出ていて、これも成る程、と思わされた。
五番町夕霧楼
水上勉
別冊文藝春秋 昭和37年9月
角川文庫 昭和41年2月
130403
著者は「金閣炎上」はルポルタージュという枠の中で書いているが、その枠を取りのけて、創作としたのが本書だ。遊郭の女を主人公にしながら、背景にあるのは著者の血液に流れる「丹後」だ。
金閣炎上
by dehoudai
| 2012-10-02 15:27
| ほん
|
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