2012年 04月 01日
日立木 |
豊葦原瑞穂国で「外浜」というのは、浮田の彼方に見える一筋の砂浜であって、人が大自然の驚異を畏れ「手を付けては成らない」とされて来たところではなかったか。砂浜の砂は海中から空に向かってにょきにょきと「岩の子」を成し、やがてはそれが丘と成る。長い時の間には丘が波に削られて、再び海に沈んでゆく。そうした悠久の時が流れていたのが磐城の国だ。
しかし我が国の鉄道の歴史を瞥見すると、鉄道は住民の暮らしを豊かにすることがあっても、それを目的として作られる訳ではない、という姿も見えて来る。山陽本線・東海道本線は日清戦争のための近代兵器だった。東北本線・常磐線も「住民の暮らしを豊かにする」と称し、奥羽諸公の秩禄奉還金を吐き出させて建設し、日露戦争の後にはこれを国有化してしまう、というだまし討ちだった。
「人の住むべきところ」に作られた日立木近くにも、豊葦原瑞穂国ならではの農業用倉庫があった様な覚えがある。常磐線は浮田の米を東京へ送るためにも使われた。米だけではなく、戦時には兵隊を、戦後は東京周辺に作られた工業地域へ若者を吸い上げるためにも使われた。
今続いているのは常磐線復旧に際して、「住民の暮らしを安全にするために、路盤の高さを充分に取ってくれ。」という地元と「路盤高も「復旧」ですから。」というJRと「黒字企業に金は出せん」という国との押問答だ。
日立木
by dehoudai
| 2012-04-01 04:32
| まちづくり
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