先週、集団移転の懇談会で「それでも僕たちは海が好きなんです。」という悲痛な叫びを聞いた。全く同感。「
海は全てを奪う」のだが、人間は海が無くては行きて行けない。
天竜川河口付近では、海とともに暮らす為に昔から営々として工夫が続けられ来た。砂防林の造成もそのひとつだ。
明治初年10月、京都を発した鳳輦は潮見坂の上で太平洋を望む。生まれて初めて太平洋を見た明治天皇は、はらはらと涙を流したそうだ。
現代人は「海」というと、夏のリゾート、と言う人が多いのではなかろうか。
しかしこれとて急激な変化に直面している。
昭和30年代、産業近代化の為の電源立地ということで、主要河川にはダムが作られた。しかしお手本となった米国のダムとは似ても似つかない急傾斜の河川に作られた
日本のダムは、あっという間に砂で埋まってしまった。砂の供給を絶たれた河口付近では、ダンプカー数万台という砂を運んで「養浜工事」が進められているが、賽の河原で石を積む様なものだ。なにせ佐久間ダムに溜まった砂の量はダンプカー500万台分だという。
更に悲惨なのは
浜名湖だ。
風景は昭和6年に
川瀬巴水が描いた頃からそれ程変わっては居ないが、天竜川の伏流水を断たれ、工場と畜産の排水先となっている。
かって豊富な水を基に近代的繊維産業で栄えた浜松市の中心部も同様だ。
「遠州空っ風」ということで、河口では風力発電の開発も行なわれている様だ。
しかし人々が海を単なる景色として見るかぎり、汚染は進み続ける。
汚染の親玉である原子力発電所も「海端で他に収入も無いでしょうから、原発で食べさせてもらってはいかがでしょうか?」と擦り寄って来るのだ。