2012年 03月 09日
海の見える岡 |
テレビでは宮城県知事と宮城県漁連の論争をやっていた。例によって肝腎な事は紹介されない。知事の言う事を要約すると、「海は巨大資本に任せて、漁民は労務者になれば良い。」ということなのだ。これでは東北の海はチリと同じになってしまう。
消費が拡大する中国大陸で、巨大資本がワカメとホタテで利益を上げる為に、東北の漁民は世界でも最も貧しい国の漁民と、給料のセリ下げをしなければならない。それだけでなく、全国のスーパーに並ぶ「チリ産鮭」の為に、現地で深刻な環境破壊が進んでいる様子は室田武さんが
「循環型社会を問う」
エントロピー学会編
藤原書店 2001
で紹介している。現在、世界では人間用抗生物質よりもヒトケタ大量の抗生物質が第1次産業で使われているそうだ。私は「チリ産鮭」だけでなく「パンダカレイ」も食べなくて良い。
今まで漁民は魚を相手に、自分の全てを賭けた戦いをしていた。それが「養殖」となると西洋式の畜産と同じになってしまう。仏徒には「私が太ったら殺して食べてください。寒ければ私の皮を剥いで着てください。」というのが「羊を作られた神の意志だ」という西洋式にはちょっと抵抗がある。
「漁民」はこれまで「生の自然に向き合う狩人」だったので「毎日勤めに出て、月に30万やそこら貰ってもなあ、、、有難いってやつ居るかなあ?」というわけで「給料を貰いたくない人々」なんである。
ところが巨大資本傘下の労務者になると、いずれはチリの労務者、中国の労務者、バングラデシュの労務者と「貧困の輸出」競争を戦わねばならず「月に30万やそこら」が「月に10万やそこら」「月に3万やそこら」となるのは目に見えている。
by dehoudai
| 2012-03-09 10:50
| まちづくり
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