2012年 02月 14日
御奉公 |
全国から膨大なエネルギーが東北に寄せられているはずだ。そこで使われている「ボランティア」という言葉は、「近代的市民の善意に基づく自発的な行動」と言った意味合いが込められているのだろう。
ところが「ボランティア」の語源である"Volunteer"には、平時の「近代的市民の善意に基づく自発的な行動」である前に「志願兵」という意味が有った。「近代的市民の善意に基づく自発的な行動」では有るものの、内実は「王家の犬」ならぬ「野良の犬」であり、美味そうな戦闘が有ると、禿鷹の様に集まって来て荒稼ぎをし、戦闘が終わると次の獲物を探して姿を消す、というものだ。
「野良の犬」は「戦闘のプロ」なのでその能力たるや"conscription"=「徴兵制」による充足兵員よりもはるかに上、給与も「徴兵」とは比べ物にならない。なぜなら給与でもめるとどちらに筒先を向けるか、分かったもんでは無いという連中だ。
それまで「戦争はオサムライサンがやるもんで、素ッ町人のあっしには関係ござんせん。」というものだった18世紀西欧の絶対王政が、「全員参加で戦争やろうぜ。」というナポレオンの「国民軍」の圧倒的な強さの前に倒れてから、この手の「オサムライサン」ならぬ、町人上がりの「戦闘のプロ」が生まれたのだろう。
1898年の米西戦争辺りがその始まりでは無かろうか。陸軍観戦武官会津藩柴五郎将軍(当時少佐)は正規軍と行をともにする米軍ヴォランテイア部隊を見て「こんな西部劇上がりのトーシロがスペイン帝国に勝てる訳が無い。」と予想したのに対し、海軍観戦武官秋山好古大佐(当時)はサンティアゴ要塞封鎖作戦を観戦(と言っても肉眼で見た訳では無く、米海軍輸送船に缶詰になって、相当いらついていた。)、6年後の旅順港封塞作戦でこれをパクっている。
結果は米軍大勝利で、これ以降米国は世界的軍事大国の道を歩み始めるのだが、その礎を築いたのは「王家の犬」ならぬ「野良の犬」達だった。これより「野良の犬」に高給を出せば勝利間違い無し、というのが米国の伝統となったのだ。
"Volunteer"に対して我々日本人が千年以上前から慣れ親しんで来たのは「御奉公」ではなかろうか。万葉集の防人の歌など読めば、その当時の「御奉公」がどんなものかは想像がつく。
「良鉄不作釘」という訳で兵隊になるのはゴロツキというのは、中国大陸でも素っ町人諸君の常識であり、戦争が有ると、純良なる町人どもを拉致して兵隊に仕立てる「拉兵」が兵員充足手段の常道だった。人殺しは嫌だと言って敵を殺ろさないと「督戦隊」の鉛玉が後頭部にめり込む仕掛けだ。
戊辰戦争でも幕軍は「戦争はオサムライサンがやるもんだ。」と思い込んでいたらしいので、ナポレオン伝来の「全員参加で戦争やろうぜ。」という官軍に、手も無くやられてしまったのだ。
明治になり「今度天朝様と公方様が戦争をやるんだってナー。」と現今の暴走族の立ち回りを見物するような気分で、戊戌戦争を眺めていた素っ町人諸君をつかまえて「御国の為に死ぬのは良いことでアル。」と教え込むのはさぞかし大変なことであったろう。近隣諸国の前近代的な軍隊を、簡単に蹴散らしてしまう圧倒的な近代装備と共に、「兵隊に行って、生まれて始めて靴というものをはいた。」というわけで、文明開化の恩恵が一般大衆にも実感出来ることは出来た。
しかし「軍隊に入って文明開化を実感しよう。」というだけではダメで、一般大衆の「命有ってのモノダネ」という「犬死」思想を払拭する為には「広瀬中佐」から後の「肉弾三勇士」に至る「軍神」の銅像が量産されなければならなかった。軍神でなくとも「兵隊に行って死ぬのは犬死にではない。」ということを目に見える形にしたものが靖国神社であった。
こうして出来上がった明治国家の近代的な「御奉公」に「近代的市民の善意に基づく平時の自発的な行動」というシュガーコーティングをほどこせば、立派な「ボランティア」の出来上がり、という訳だ。近代的市民の善意はまことに尊いものなのだが、問題なのは「公」という言葉が、全く以て近代化されていないのだ。
議員諸公も、議員は職能では無く身分だと心得ているので、三沢藩士小沢一郎君が「立法府が有るのだから内閣法制局は要らない。」「閣議が有るのだから、省庁事務次官会議は要らない。」と声を涸らしても馬の耳に念仏である。その結果東北に全国から寄せられた膨大な「近代的市民の善意に基づくエネルギー」は、東京大学に入学出来れば一生左うちわ、という「記憶力が異常に発達している割には思考力の不自由な」方達を守る「ガス抜き」になってしまう。
国家公務員に採用されれば「金飯椀」、省政府の公務員に採用されれば「銀飯椀」、市政府なら「鉄飯椀」という大陸伝来の統治システムに対して、本気で「ちゃぶ台返し」を仕掛けたのは三沢藩士小沢一郎君のみなので、統治システムの側では何とか小沢君を悪者にしようと必死である。
by dehoudai
| 2012-02-14 16:27
| まちづくり
|
Comments(5)
震災支援はそこにだけ目を奪われていては限界ありすぎであって、もとよりそういうおシゴトでもないわけですから、ボランティア?ふうん?という感じです。考える余裕なし(能力も?)で走っていますが、「すくい取られる」にせよ「ガス抜き」であるにせよ、少しでも腰を上げた人々を伴走者として大事にしたいと思う。少なくとも足を引っぱらない。もちろん個々にはいろいろあるし、束ねた見方も必要としているのだけれど。
今回は、最前線に基地が必要だなーと思いつつ、とりあえず帰還。民兵が足らない。
今回は、最前線に基地が必要だなーと思いつつ、とりあえず帰還。民兵が足らない。
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dehoudai at 2012-02-17 09:25
日比谷公園で大江健三郎さんの訴えを聞きながら思ったのは、日本の「戦後民主主義」は冷戦時代と産業近代化の作り出したものであって、人と人との関係は江戸時代からあまり変わってはいないんだろう、ということでした。
最近これも父の恩と感じています。
本人から満州時代の細かなことを聞いた訳では無いのですが、最終学歴が養蚕学校という青年が、時代の裂け目から大蔵省の課長になり、国家というものは10人かそこらで動かすものだということを目の当たりにしました。
満州国崩壊に巻き込まれ、国というのはなんてインチキなものだ、と感じた様です。捕虜生活では「苦力」と言う、日本人には珍しい体験をした彼の戦後は「難しいことに首を突っ込むと、人生を誤る。」という「お気楽人生」でした。
最近これも父の恩と感じています。
本人から満州時代の細かなことを聞いた訳では無いのですが、最終学歴が養蚕学校という青年が、時代の裂け目から大蔵省の課長になり、国家というものは10人かそこらで動かすものだということを目の当たりにしました。
満州国崩壊に巻き込まれ、国というのはなんてインチキなものだ、と感じた様です。捕虜生活では「苦力」と言う、日本人には珍しい体験をした彼の戦後は「難しいことに首を突っ込むと、人生を誤る。」という「お気楽人生」でした。
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dehoudai at 2012-02-17 09:36
内田雄造さんは大邱の産、ということで、生活の記憶は無いものの、植民地の官僚であった御尊父から、受け継がれたものもあろうかと思います。朝鮮・台湾・満州など、植民地からは日本という国の姿がよく見えます。自分のメクソハナクソはよく見えないのです。
「日本国憲法は日本国をして独立国の形を取りながら米国の経済的植民地とするもの。」という北原仁君の説も良く分かります。日本から、琉球国からみると、米国人の気付かない米国の姿がよく見えます。原発などその筆頭ではないでしょうか。
「日本国憲法は日本国をして独立国の形を取りながら米国の経済的植民地とするもの。」という北原仁君の説も良く分かります。日本から、琉球国からみると、米国人の気付かない米国の姿がよく見えます。原発などその筆頭ではないでしょうか。
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dehoudai at 2012-02-17 09:48
「ドイツは何故「脱原発」に踏み切ったか?」という設問がありましたが、私からみると地方自治の問題ではないかと思われます。フランスがナポレオンの後「統一近代国家」の形を取ったころ、ドイツは地方自治体の寄り合いだったのでは無いでしょうか。
ドイツ人には「クルップ砲とヒトラーだけで連邦というのはイカン。」という意識があるかもしれません。その点日本人は一度しか廃線を経験していないので、正力松太郎の如き、関東大震災の折の中国人・朝鮮人虐殺の指揮官が「原子力発電の父」になってしまい、「ナイターで巨人軍」に酔いしれる脇の甘さがあるのでは?
そうした意味から今回の自体は「第二次戊辰戦争」だと思います。
ドイツ人には「クルップ砲とヒトラーだけで連邦というのはイカン。」という意識があるかもしれません。その点日本人は一度しか廃線を経験していないので、正力松太郎の如き、関東大震災の折の中国人・朝鮮人虐殺の指揮官が「原子力発電の父」になってしまい、「ナイターで巨人軍」に酔いしれる脇の甘さがあるのでは?
そうした意味から今回の自体は「第二次戊辰戦争」だと思います。
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dehoudai at 2012-02-17 13:48
家尊の「お気楽人生」をみると、森繁久彌の大叔父が将軍家侍講成島柳北先生であった、なんて記事をみても「なるほど」と納得出来るのであります。
小生就職の折にも、とっとと江戸から逃亡したのは、その辺りを感じ取ってのことであったと思います。
小生就職の折にも、とっとと江戸から逃亡したのは、その辺りを感じ取ってのことであったと思います。