2011年 11月 15日
潮見坂 |
白須賀宿は宝永7年、宝永山の噴火の折まで、坂の下にあったものが流され、高台に集団移転したもので、今回の東北大震災とも関連が無い訳では無い。坂は塩見坂と称し、京を出た東海道が、初めて太平洋を望む場所だ。慶応4年秋、明治天皇東幸の折り、
明治元年戊辰十月大 朔日、晴、西風甚、夘之半刻吉田駅御発輦、観潮坂ニ被為至、始テ至尊大洋ヲ叡覧被為遊、暫御途中ヘ輦輿ヲ被為止、従是皇威之洋外相輝ン始ナリト感涙ニ不堪也、
と書いているのは木戸孝允こと桂小五郎だ。このときにはまだ鶴ヶ城落城より一週間、奥羽各地には慶応4年という時が流れており、桂小五郎君も各地からの密書を受け取っては、あっちに塩を送り、こっちに弾を送りしながらの行幸だった様だ。
現在の国道1号線は立体交差のトンネルを抜けると、まるで太平洋にダイビングするかの様な線形を取り、明治天皇東幸ノ折「御感涙ニ不堪也」という景色を良く感じることが出来るデザインになっている。
by dehoudai
| 2011-11-15 18:32
| まちづくり
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