2011年 11月 15日
指示待ち |
大方は幼稚園の通園、小学校の通学以来身につけた、交差点での指示待ちを行っている。週一回の通勤途上で観察すると、通勤時間の1%程は車の来ない、意味の無い指示待ちに費やされているのでは無かろうか。日本全体で考えれば、GDPの膨大な部分が指示待ちに費やされていることになる。
玄侑宗久老師がスリランカ仏教のスマッサラーナさんとの対談の中で、「歩行者信号は守れば良いというものではありません。」という様なことを言っていたのはこの辺りだろう。交通信号は歩行者と自動車が仲良く暮らす為の「整理」の道具であって、それを守れば安全が確保出来る、というものでもなかろう。
私は交通信号に従わなくても、自分で安全が確保出来、他の人の迷惑にならなければそれで良い、という考え方だ。
同じ交通信号・交通規則でも米国などでは様相が違うようで、スピード違反のカメラなら日本でも目にすることがあるが、テキサス州辺りでは信号無視の監視カメラがあると言うので、自分の身の安全は自分で確保しなければ、命がいくつあってもたまらないのだ。
by dehoudai
| 2011-11-15 14:37
| まちづくり
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