2011年 11月 12日
相良城大手門 |
田沼は賄賂の家元の様な言われ方をしているが、あのときに田沼が両国の倉米を商人に売り飛ばさなければ、徳川幕府は財政赤字で倒産していたのではなかろうか。外国貿易でも、それまで金銀で贅沢品を買い漁り、輸入超過に陥っていたものを、長崎俵物なんぞで帳尻を合わせようとしていたらしい。田沼のブレーンには紀州の出で仙台育ちの伊達藩工藤平助という人もいた様だ。工藤は「赤蝦夷風説考」なる一書を残している。
庶民には質素倹約を申し付けておいて、舶来品を買い漁るようでは財政赤字は如何ともしがたい。この際日本の金でメキシコ銀を買い求め、中国に売ったらどうだという様な話が、田沼と伊達の間で交わされていたのではないかと愚考する次第である。
過日は「仙台湾の黒松は浜松から持って来た。」という地元伝承も耳にした。これとてもしかすると「浜の松だから、浜松から持って来たんだろう。」以上の史実が隠されているかもしれない。伝承が伝承となるには、東京帝国大学教授をでっち上げるよりも、多くの人々の納得が必要なのだ。
by dehoudai
| 2011-11-12 17:32
| まちづくり
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