2011年 11月 02日
寓居 |
仮設なのであくまでも「仮の住まい」なのだが、「うちの親は仮設でだけは死なせたくない。」という声も聞こえる。ところで「仮の住まい」というと、東京の山の手でも「寓居」という表札を見かけることがある。
武家社会の頃には「君命有らば何処へなりと」という武士の心得を示したものが「寓居」だ。それがそのまま文明開化で西国の人々に受け継がれ、産業近代化とともに「社命あらば」地球の反対側へ行ってしまう現代のビジネスマンに受け継がれているのだろう。
山の手ではなく、面積で2割、人口で8割を占めたと言う下町では「古山寓」などとしておけば「何でいあれは、ヤットウの先生かい?」という訳なのだが、これまた仮設住宅の類いだったようだ。おおむね10年に一度は火事で焼け落ちることが前提で、10年で元が取れるような住宅しか建てられなかったという。加えて数十年に一度は地震で、下町はおろか、備え万全に見える大名屋敷も、地震が来ればもろくも崩れ去るものだったことが、安政の大地震の記録からは伺える。
江戸の町が都であったことは無く、最初から最後まで「征夷大将軍の幕府」つまり「東北原住民討伐作戦総司令部」の門前、つまりヴェトナム戦争の頃まで「ゲート前」の街だったことが、様々な「江戸文化」の説明にもなるだろう。それだけではなく「寓居」には地震・海嘯など、様々な自然災害の前で「この世は仮の住まい」と言ってみる諦観が、江戸っ子の気っ風の良さの裏側ではなかろうか。
してみると今回の大震災の仮設住宅など「江戸の下町文化の原点」という住環境とも言えるのだ。
by dehoudai
| 2011-11-02 18:46
| まちづくり
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