2011年 10月 24日
橋場の渡 |
東京橋場渡黄昏景
小林清親
1876
バンコクが洪水で危機に瀕しているそうだ。しかし市民の中にはのんびり構えている人も見受けられる。日本でも少し前、小林清親の時代には、ちょいと雨が降れば下町は水浸しだった。
豪雨だけでなく、旧聞日本橋/長谷川時雨/岩波文庫1983年には海嘯の記事もある。関東大震災後も、都市計画家の「近代化」の掛声とは裏腹に、以前と同じまちなみがあっという間に再現されてしまった。
浜町河岸
川瀬巴水
1925
それから76年、第二次関東大震災も事挙げされる此の頃だが、庶民の住まいは、欧米式の近代都市に較べれば、地震が来ても津波が来ても「そのようなこともあるだろう。」として造られて来た伝統を持っている。
バンコクでも一番困っているのは、欧米式の開発を行った進出企業だろう。
メナム・チャオプラヤーというと、
「メナムの残照」
トムヤンティ著1965
角川書店(角川文庫)
が思い浮かぶが、連合国の空襲で戦死した小堀海軍大尉の祖国に、救いを求める人々も居れば「そのようなこともあるだろう。」と穏やかに暮らす人々も居るだろう。
下の写真はBangkokPost
小林清親
1876
バンコクが洪水で危機に瀕しているそうだ。しかし市民の中にはのんびり構えている人も見受けられる。日本でも少し前、小林清親の時代には、ちょいと雨が降れば下町は水浸しだった。
豪雨だけでなく、旧聞日本橋/長谷川時雨/岩波文庫1983年には海嘯の記事もある。関東大震災後も、都市計画家の「近代化」の掛声とは裏腹に、以前と同じまちなみがあっという間に再現されてしまった。
浜町河岸
川瀬巴水
1925
それから76年、第二次関東大震災も事挙げされる此の頃だが、庶民の住まいは、欧米式の近代都市に較べれば、地震が来ても津波が来ても「そのようなこともあるだろう。」として造られて来た伝統を持っている。
バンコクでも一番困っているのは、欧米式の開発を行った進出企業だろう。
メナム・チャオプラヤーというと、
「メナムの残照」
トムヤンティ著1965
角川書店(角川文庫)
が思い浮かぶが、連合国の空襲で戦死した小堀海軍大尉の祖国に、救いを求める人々も居れば「そのようなこともあるだろう。」と穏やかに暮らす人々も居るだろう。
下の写真はBangkokPost
by dehoudai
| 2011-10-24 09:05
| まちづくり
|
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